【書肆侃侃房賞】
田野倉 佐和子さん
酒の匂いが呼び寄せる過去・現在・未来
「春の宵」という美しくあたたかみのあるタイトルに惹かれて、この本を手に取った。だが読み始めると、予想とは違って喪失の物語が次々と現れた。
作家クォン・ヨソンが原題に『あんにょん、酔っぱらい』と付けた通り、酔っぱらいたちがうじゃうじゃ登場する。ページをめくるたびに、お酒の匂いが漂ってくるようだ。ただ、その匂いは単純なお酒の匂いだけではなく、懐かしさ、悲しさ、病気、死、さまざまな人生の匂いを含んでいる。
表題作「春の宵」は、『生きる、ってほんとにつらいわよね』という主人公の姉のことばで始まる。どれほどつらいのか。主人公のヨンギョンは元夫の家族にこどもを奪われ、アルコール依存症になり職も失ってしまう。その後出会い、再婚した夫のスファンは、リウマチ性関節炎が悪化し、死が間近に迫っている。そして夫に死が訪れたその時、ヨンギョンはアルコール依存症の禁断症状のために、彼のもとを離れていたのだった。この悲劇の中での唯一の救いは、病状悪化により、ヨンギョンが夫の死を認識できないことではないだろうか。
クォン・ヨソンが「苦痛の描写は三人称がよい」とインタビューで答えているように、本書は七編中、六篇が三人称で書かれている。その中で唯一、一人称で進む物語が「おば(イモ)」だ。義母の姉である「おば」との会話のなかで、語り手である物書きの「私」は、「おば」の人生を知っていくことになる。「私」は「おば」の人生の予想外な事実を聞き、「おば」も忘れていた過去の出来事を思い起こしたりもする。だがその「おば」は「私」との出会いから数ヶ月後に、この世を去る。決まった時に決まった量の酒を飲む「おば」の人生とは何だったのか。
その他、離婚したばかりの友達夫婦と、学生時代からの友人である男性が、三人で小旅行をする「三人旅行」。別れた恋人のその後を、思いがけない形で知ることになる『カメラ』。芸術家レジデンスに住んでいる女性の新人作家と失明寸前の作家との、逆光の風景のような幻想的な物語である『逆光』。『一足のうわばき』は、十四年ぶりに再会した高校時代の女友達の秘密を描き、最後に収録されている「層」は、男と女の別れを、それぞれ自分のせいではないと思いたい男女の物語である。
本書を読み終えたら、酒でも飲みながら、それぞれの物語の登場人物たちのその後に思いを巡らせたくなるだろう。