【祥伝社賞】『アーモンド』私もきっと感情が分からない/岡戸 春菜さん

【祥伝社賞】

岡戸 春菜さん

『アーモンド』
私もきっと感情が分からない
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人は誰もが『アーモンド』を持っている。アーモンドを語源とする扁桃体は、脳の中で感情と言われるようなものを感じる場所だ。

私たちは毎日目に見えるように笑ったり、眉間にしわを寄せながら怒鳴ったり、大粒の涙を流すわけではない。それでも多くの人は毎秒毎分、感情というものを感じて生きている。少年ユンジェはその『アーモンド』を持っていながらも、感情を「感じる」ことができなかった。大切な母と祖母が目の前で通り魔に刺されたときも、友達が自分に感情を分からせようと顔を歪ませながら蝶を殺したときも。

しかしユンジェは“感情がわからなかった”が、少なくとも“感情がなかった”わけではない。なぜなら、ユンジェは他人を知りたいと思っていたからだ。母や祖母、ゴニやドラに対して、どうして泣くのか、どうして笑うのか、どうして自分を犠牲にするのか、どうして相手を守ろうとするのか、知りたがっていた。相手の感情が読み取れないなかでも「どうして?」という疑問を投げかけることで、なんとかそのシグナルを読み解こうとしていた。そして最終的にそれは自分に対しての問いになっていく。もしもユンジェに感情がないならば、どうして他人を知りたいと思うのだろう。

表紙に大きく描かれたユンジェの顔は一見、無表情に見える。しかし物語を読み進めるごとにどこか悲しげにも、優しげにも見えてくる。それは後半に差し掛かるほど、まるで私がユンジェに対して“感じた”ものが投影されているかのように複雑さを増していく。私たちは多くの場合、他人のなかにあるものも分からなければ、自分が感じているものの正体すら分からないでいる。たとえ自分が持ち合わせている感情のデータフォルダに正しく認識されないものがあったとしても、そのカテゴリーとカテゴリーの間に生まれた名前のない感覚を大切にしていくことで、やがて誰かの心の中にその感情を見ることができる唯一の手がかりになるのかもしれない。

と、ここまで書いて感情を「感じる」とは一体どういうことなのか、分からなくなってしまった。今夜、私はまた『アーモンド』を手に取るだろう。自分に対して「どうして?」という疑問を投げかけるために。そして私を分かって、あなたを分かりたいという気持ちと共に。