●本書の概略
朝鮮戦争での混乱が激しくなる中、安全な地を求めて船で北から南に向かう家族を描いたグラフィックノベルである。
1950年12月、興南市(現;北朝鮮咸鏡南道咸興市)に住む16才の女の子であるキョンジュは、戦乱から逃れるため、きょうだいや父母らとともに興南港から釜山まで民間人を乗せて行くというアメリカの貨物船を目指す。9万人以上の避難民でごった返す中、氷点下20度以下の寒さと飢え、そして時折受ける激しい爆弾攻撃を耐えながら乗船を待ち、10日以上埠頭付近に滞在する。離れ離れになる危機も乗り越えて乗船し、家族全員が無事に巨済に到着することができるのだった。
キョンジュ一家の物語と並行して、作者自身が母や母方のおばから聞いた興南からの避難についての証言や、朝鮮戦争についての解説、思いがナレーションとして取り入れられている。
●目次
1章 黒くて大きな
2章 さまよう名前
3章 いつかまた
4章 冷たい炎
5章 Home by Christmas
6章 船がたどり着いた場所
エピローグ 白くて大きな
●日本でのアピールポイント
本書は、冒頭に「戦争の海を渡って来た子らの孫たちに聞かせる物語」と記されている通り、朝鮮戦争を直接知らない若い世代に向けられた作品である。
キョンジュ一家の物語の部分では、避難の過程で同級生と友情を育んでいく様子や家族とのユーモアにあふれたやりとりなどが描かれ、また、登場人物が可愛らしい画風で生き生きと描写されており、70年以上前の戦時下の人々にも、現代を生きる私たちと同様に日々の生活やかけがえのない人生があったのだと伝わってくる。それとは対照的に、ナレーション部分のイラストは、爆撃機での攻撃シーンや無数の死体が並んだ場面などが水墨画の技法により荒々しいタッチで表現されている。作者が母などから聞いた実際の避難の様子や朝鮮戦争についての解説、そして、何も言えないまま亡くなった戦死者たちの思いを代弁するかのような悲痛なメッセージなどがナレーションとして進む。物語とナレーションを交互に読み進める構成になっていることで、読み手は、普通の人々の生活と悲惨な戦争は地続きなのだと、よりいっそう心に刻まれる。
本書の全体のテーマとなっている朝鮮戦争の「興南撤収」は、韓国では誰もが知っているという歴史的な避難作戦であり、日本でも公開された映画『国際市場で逢いましょう』(2015年)でも、主人公のその後の人生に大きな影響を与える出来事として登場する。文在寅前大統領の両親もこの興南撤収時に北から逃れ、避難先の巨済で前大統領が生まれたことで知られている。
(作成:今野由紀)