新刊本を送り出すときの昂揚と不安。韓国で「一人出版社」を始めて15年になる私は、すでに何度も経験していることなのに、決して「慣れる」ことなどない。
9月初めに上梓した『東柱の時代(동주의 시절)』が、韓国の書店で動き始めた。私はドキドキしながら、日々を過ごしている。
作っているときは無我夢中だったが、いざ出来上がってみると、韓国の読者はこの本をどう受け止めるだろうかと、不安が募る。まるで自分の生き様を世にさらけ出し、是非を問われているような心持ちだ。
『東柱の時代』は、間島で生まれ育った尹東柱(ユン・ドンジュ)と、同時代を生きた人々に思いを馳せる写真資料集だ。尹東柱自身の写真はない。尹が故郷で書いた20編の詩と、200点余りの写真で構成した。
韓国で「国民詩人」と呼ばれる尹東柱だが、実は有名なのは、故郷を離れて京城や東京で書いた詩だ。
私は、詩人の故郷である間島、現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州で3年余り暮らし、その後もしばしば訪れていることから、間島時代の詩人に焦点を当てて、本を作りたいと考えた。
きっかけは、福岡、京都、東京で尹東柱を追慕し顕彰する活動を続ける人々との交流だった。
1年前から「尹東柱と詩を読む会」の活動に参加して、詩人が故郷の間島で書いた詩を、日本の人々と共に読み解いている。コロナ禍で、オンラインで行われるようになったため、仁川の私も参加できるようになった。とても深い、学びの場だ。
自分一人で詩集を読んでいたときには、決して気づくことのなかった貴重な意見が出て、なるほどと感嘆することも多い。同時に、間島の風景を知らないメンバーが、詩の中に出て来る山や木など、詩人の育った環境を知りたがっていることを知った。
写真家であるつれあいの柳銀珪(リュ・ウンギュ)と私は、30年来、中国朝鮮族の古い写真を集め、整理する作業を続けてきた。わが家には、これまで蒐集した5万枚もの写真がある。それを使えば、詩人の故郷がどんな場所だったか、どういう暮らしがあったか、可視化することができると考えた。一枚の写真はときに、千の言葉よりも重みを持つ。
尹東柱は故郷で、「童詩」と呼ばれる詩をいくつも書いた。その中の、私の好きな詩。
「おねしょの地図」
洗濯紐に掛けておいた
布団に描いた地図は
ゆうべ僕の弟が
おねしょで描いた地図
夢で行ってみたかあさんのいらっしゃる
星の国の地図かな
出稼ぎに行った父さんのいらっしゃる
満洲国の地図かな (上野都訳『空と風と星と詩』コールサック社、2015年)
満洲国の時代、間島に暮らした朝鮮の人々の哀しみや、ほのかな温かみが感じられる詩だ。
私の頭には、藁ぶき屋根の小さな家に住む兄弟の姿や、満洲国の大都市にある、立派な石造りの建物が浮かんでくる。急速に進められた都市建設に、朝鮮からの移民たちも数多く関わっていた。
「赤ん坊の夜明け」
僕の家には
ニワトリもいない。
ただ
赤ん坊がお乳をねだって泣くので
夜明けになるんだ。
僕の家には
時計もないさ。
ただ
赤ん坊がお乳をくれとむずかるから
夜明けになるんだ。 (上野都訳、同上)
静まりかえった暁のころ、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。どの家でも、子どもこそ大きな希望だ。赤ん坊を抱いて撮った古い記念写真を見つめていると、それぞれの家庭の幸せな笑い声が、耳に響いてくるような気がする。
尹東柱の家にもまた、6歳下の妹、10歳と16歳下の弟たちがいた。
上の弟は、戦後すぐ韓国に渡り、亡兄の詩集の出版に奔走した。妹夫婦もまた、朝鮮戦争勃発前に38度線を越え、韓国へ渡った。故郷には16歳下の弟が残り、兄が家に残していった本を読みながら育った。
やがて、末弟も詩を書いた。社会主義革命の時代だ。
「だれのおかげで…」 尹光柱(1933~1962)
使って残った 配給の分け前で
家族みなが 新しい服だよ。
よちよち歩きの幼子が
新しい服を着て 小躍りしてる。
かわいい子 幼い子
色とりどりの花のような着物は
母さんがくれたの 父さんがくれたの
だれのおかげで 着てるんだい
にこにこ笑ってる
いじらしい幼子よ!
部屋の真ん中に掲げてある写真
毛主席を指さしたよ。 (戸田郁子訳)
1949年に中華人民共和国が成立すると、1952年に間島は「延辺朝鮮族自治州」となり、朝鮮の移民たちは中国籍の朝鮮族という少数民族になった。
しかし韓国と中国は、戦後40年以上の長きにわたって国交がなく、行き来できなかった。尹東柱の妹や上の弟は、間島に残した末弟との再会はおろか、その消息すら知らなかったという。
離散家族の悲劇は、半島の北と南の間だけに存在したわけではなかった。そんな悲劇まで、写真を使って淡々と見せたかった。
『東柱の時代』を読んだ韓国の知り合いは、こんな感想を寄せてくれた。
「この本を読んで、おぼろげな記憶の中をさすらうような思いがした。尹東柱が書いた童詩の純粋さに、心が浄化されたようにも思った。
尹東柱を記憶する方法は様々だ。詩人が育った故郷、その周辺の環境や、苦楽を共にした同胞たちの写真と共に、童詩を鑑賞できるこの本の企画は、とても独創的で新鮮だ。それが可能だったのは、これまで集めた写真があったからだ。これは柳銀珪と戸田郁子以外の、他の誰にも真似できない仕事だと思う。
本は作家の哲学であり、作家の生そのものだ。そのことを、多くの読者もきっと感じ取るはずだ。」
うれしさが私の胸にあふれ、何度も読み返した。
柳銀珪と私は今後、中国朝鮮族の暮らしの痕跡をたどる、「間島写真館」シリーズを編み続けていくつもりだ。『東柱の時代』は、その第一弾だ。
韓国の読者には、尹東柱を手がかりに、中国朝鮮族の暮らしや文化を理解する手引きとなってほしいとも願う。実は今、韓国には、80万人もの朝鮮族が住むと言われている。私たちのすぐ隣に、朝鮮族はいる。それなのに断絶の時代があったことで、韓国人は朝鮮族を理解しようとしない。
中国東北の辺地を巡りながら、石炭の煤煙にむせび、土埃の道をひたすら歩き、ようやく出会った人々がいた。そして譲り受けた写真があった。生の証である写真を使って、彼らの生き様を刻印することが、私たちの役目だと自覚している。
戸田郁子(とだ・いくこ)
韓国在住の作家・翻訳家。仁川の旧日本租界地に建てられた日本式の木造町屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。
朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」コラムの連載は10年目。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』(アルク)など多数がある。