『ガム(껌)』カン・へジン(강혜진)

私の初めての訪韓は1979年、ソウルで語学留学を始めたのは1983年だから、韓国との関わりはすでに40年になる。「10年過ぎれば山河も変わる」と言うから、どこもかしこも変わってしまったのは、むしろ当然のことだろう。

気がつけば、あたりまえにあったものが、いつの間にか消えていた。バスの案内嬢や地下鉄車内の新聞売り、雨が降れば現れるビニール傘売り……。「7080」時代を描くドラマや映画ならば、時代考証の役割くらいできると自認している。しかしそんなことを韓国の若者に話してみても、胡散臭い年寄り扱いされるのがオチだろう。都市のみならず、韓国のどこもかしこも、より暮らしやすくなり、人々はより洗練されて、今を生きている。

そしてふと、気がついた。私がものすごく苦手だったことが、いつの間にかなくなっていたことを。それは「ガムパッチン」の音だ。

ガムをくちゃくちゃと噛んで、ガムの中に小さな気泡を作り、パッチンパッチンと音を立てて割る人は、中年の女性に多かった。地下鉄でようやく座れたと思ったら、隣の空席に「ガムパッチンアジュンマ」(と私は勝手に命名した)が腰掛けてきて、目の前真っ暗……という経験を、幾度もしたことを思い出す。
耳元で繰り返されるパッチンパッチンが耐え難くて、まだずいぶん先まで乗って行かねばならないのに、席を立って別の車両に移動したこともあった。

当時、私がとても不思議だったのは、「ガムパッチンアジュンマ」に注意を促す人を見たことがなかったこと。おばちゃんが怖いからなのか。それとも、だれもそれを不快と思っていないからなのか。
韓国の友人に尋ねてみたことがある。すると、「私だって嫌よ」との答え。しかし、自分より年上の人に注意するなんて、できないのだと言う。そう、当時は私も若かったし、儒教の教えも社会にしっかりと根付いていた。

そこでもう少し年上の、「ガムパッチンアジュンマ」と同世代の女性に尋ねてみた。その人は、小声で注意すると言った。なんと言うのか。

”귀에 거슬려요(クィエ コスルリョヨ)”

‘거슬리다’とは、さわる、触れる、という意味。なるほど、「耳障り」か!
教えてもらったその言葉を、私は幾度も口の中で反復練習した。しかし、実際に使ってみたことはなかったと記憶する。

やがて私の韓国暮らしも年季が入り、20歳だった娘も還暦を過ぎ、「ガムパッチンアジュンマ」たちと対等に渡り合える自信もついたのだが、はて、地下鉄に乗ってみても、「ガムパッチン」の音はどこからも響いてはこない。コロナ禍でマスクをしているせいなのか。いや、人々の意識が変わったからか。

「ガムパッチン」の音をすっかり忘れて暮らしていた私の目に、一冊の絵本が留まった。タイトルは『ガム』。本を開いたとたん、まばゆいほどのショッキングピンクに目がくらくらした。

ゴリラとタヌキがベンチに腰掛けて、バスを待っている。そこにやってきたおばあちゃんは、風船ガムを噛んでいる。ああ、このハルモニは、かつての「ガムパッチンアジュンマ」なのかしらん。
おばあちゃんからガムをもらったゴリラとタヌキ。初めてのガムの、なんと愉快なこと。ガムを噛む擬声語の数々の、なんと楽しいこと!
落としたガムを踏んづけちゃったり、口から膨らませた風船がパアンと割れてしまったり……。バスが来たのにも気づかずに、夢中になっているゴリラとタヌキを見ているうちに、不快だった「ガムパッチン」の音すら、懐かしい思い出として蘇ってきた。なんだか楽しくてしかたないのは、どうしてだろう。

そう。ガムは幸せな思い出につながっている。幼いころ、初めて噛んだロッテのチューインガム。コーヒーガムはなんだか大人の味がした。ペンギンの絵のミントは辛すぎて、苦手だった。小学生の私はやっぱり、甘いフルーツガムが好きだったっけ……。
ガムに夢中になっているゴリラとタヌキの表情に、思わず幼い日の自分を重ねて見ながら、あははと笑ってしまう。

このサイト(韓国語)を開くと、絵本の中の絵が見られるようになっている。
http://www.picturebook-museum.com/user/book_detail.asp?idx=23062
しかし画像では、色がちゃんと出ていないのがとても残念だ。実際の絵本は、もっとずっと鮮やかな色使いなのだ。

私は韓国の絵本が好きで、書店で目に留まったものをよく買い求める。だれかに語り聞かせるためではなく、自分が心楽しくなるために、私へのささやかなプレゼントだ。
絵本作家たちの悩みや情熱を感じながら、ページを繰るのが好きだ。単純に見えるストーリーには、実は深き宇宙が宿っている。
『ガム』は、ガンと頭を殴られるような色使いに魅せられて衝動買いしたのだが、家に持ち帰ってページを繰るたびに、楽しい気持ちがもりもりと湧いてくる。表紙には「2020年優秀出版コンテンツ選定作」というシールがあった。

ふと思う。この作家さんはきっと、「ガムパッチンアジュンマ」のことなど、知らない世代だろう、と。場所の設定は韓国のようでもあるが、別の国だとしてもOKだ。無国籍な設定は、世界へ羽ばたく翼を持っている。絵の力と色の力を存分に駆使して、読者の目と胸に迫ってくる。のびやかな感性は、まぶしいほどだ。
それでいてガムという「古典的」なアイテムには、世代を超える力もある。子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、ガムの思い出を持っている。

私は、過ぎた時代の韓国で、ガムを取り巻いていた風景や色を反芻してみたくなる。
明洞で外国人観光客にガムを売っていた少年がいた。薄暗い地下鉄の駅構内で、ガムを買ってくれと声をあげるハラボジもいた。飲み屋を回りながら酔客相手に、ガムを売って歩くハルモニもいた。1000ウォン札を取り出して、ガムはいらないよと押し返すアジョシもいた。
しゃがれ声や日に焼けた手と共にあった過ぎた時代のガムは、くすんだ茶色のイメージだ。

そんな光景を「古き良き時代」だなんて、私は言えない。ガムを売っていた当事者にしてみれば、貧しく苦しい、消してしまいたい記憶かもしれないから。それでも私は、その時代をはっきりと覚えている。韓国が歩んできた道のりを、私も体験してきた。

1冊の絵本に、明るい光を見る幸せ。この絵本と出会えて、私はとても気分がいい。

2021年3月 戸田郁子


戸田郁子(とだ・いくこ)

韓国在住の作家・翻訳家。仁川の旧日本租界地に建てられた日本式の木造町屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。
朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」コラムの連載は10年目。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』(アルク)など多数がある。