●本書の概略
1996年に出版されたシン・ギョンスク3冊目の小説集に手を入れ、装丁を新たに出版された。「空き家」や「不在」を軸にそれぞれの物語が進んでいく。収録作品中「庭に関する短い話」「草原の空き家」「ジャガイモを食べる人たち」は、『オルガンのあった場所』(きむふな訳・クオン 2021年)に翻訳され収録されている。
表題作「ずっと前、家を離れたとき」
「空き家」を撮ることを好んでいた写真家(女性)が主人公。草が生い茂る空き家で寄り添う二羽の白鳥を見た時から、「空き家」を撮らなくなった。南米ペルーを旅して、降りしきる雨の中、旅から帰ってみると部屋の電気が点かない。しばらくすると幼い兄妹が暗い部屋に現れる。
「集まっている灯り」
文章が書けなくなった作家(女性)は、都市の自宅を離れ帰郷した。だが新聞に掲載された自分の短編小説が原因となり、故郷の親族間に不和が生じてしまう。伯母から「小説とは何か」という問いを投げつけられ悩む作家。作家が不在の自宅では、編集者からの電話に不在を伝える自動音声が流れている。
「空き家」
ギタリストの男性は耳の不自由な女性と暮らしていた。彼の指を見ているとギターの音が聞こえるのだと言う彼女だが、現実には何も聞こえず、次第に彼女は心と体を病み彼との別れを決意する。彼女が去った後、空っぽの部屋に帰った彼は一冊の本の中から彼女の手紙を発見し、本心を知る。不意に気配を感じドアを開けてみると、彼女が連れて行ったはずの猫が背中に血を付けて戻ってきていた。
「深呼吸をするたびに」
書くことに疲れた小説家(女性)は、自宅を離れ済州島にやって来た。城山浦(ソンサンポ)という町でやせっぽちの少女、チェロを背負った暗い顔つきの女性と出会う。彼女が再び小説を書くために自宅に戻るまでの三人の交流が、済州島の自然を背景に描かれている。
●目次
ジャガイモを食べる人たち
草原の空き家
集まっている灯り
ずっと前、家を離れたとき
空き家
庭に関する短い話
深呼吸するたびに
解説 イム・ギュチャン
新しく書き下ろした作家のことば/改訂版 作家のことば/初版 作家のことば
●日本でのアピールポイント
今、韓国文学と言えばフェミニズムやSFが人気だ。だがそのどちらでもない小説集である。「不毛なこの時代に、渇いた心の畑を潤す恵みの雨のようだ」(解説より)というシン・ギョンスクの小説。孤独な人たちが織りなす、この怖くて美しい幻想的な物語の向こう側に、今、私たちが求めている癒しの兆しを見つけることになるだろう。
(作成:田野倉佐和子)