ブックレビュー:『そしてまた霧がかかった』、『あなたという記号』

韓国の詩はかなしいゼリーのように            
                     書肆侃侃房 代表 田島安江

 書肆侃侃房で出版された韓国翻訳詩集は今のところ二冊。あとは年二回発行のsomethingという詩の雑誌にもう十年ほど、韓国の女性詩人の作品を紹介している。

 李晟馥詩集『そしてまた霧がかかった』の表題作では、民族の誇り、恥という言葉で綴る「口にできないこと」という意味深い詩句がリフレインされる。ふたつに分断されてしまった祖国の行く末を憂える詩を読むと、路地に漂う懐かしい匂いのなかにも、詩人としての、人々の苦難を嗅ぎ分ける鋭い嗅覚が見え隠れする。ときに鋭いいたみを伴って。
 李晟馥は、一九八〇年代に最も影響力のある若手詩人として彗星のように現れ、以来ずっと韓国の現代詩の世界をけん引してきた韓国詩壇を代表する詩人の一人。この詩集にも収められている代表詩のひとつ「南海錦山」は、今でも韓国人の愛誦の詩として広く読まれ続けている。この詩集に収録された七六篇の詩は、民主化以前の韓国社会への抑えた怒りの変わらぬ表出である。韓国の詩を理解するには、この怒りの根源を知る必要があるのだと思う。そうすることで、はじめて私たちは、美しい詩の言葉が透明な光を放っていることに気づくのだ。

 そしてまた霧がかかった ここで口に出来ないことがあった 人々は話す代わりに膝で這って 遠くまで道をたどった そしてまた 霧は人々の肌の色に輝き 腐った電柱に青い芽が生えた ここで口に出来ないことがあった! 加担しなくても恥ずかしいことがあった!
                            (『そしてまた霧がかかった』より)

 また、一九六六年生まれの金惠英『あなたという記号』は意表を衝く詩集だ。詩の中のあなたは記号化され、そうすることで、詩の言葉に普遍性が生まれていく。韓国に渡った日本人アナキスト金子文子の生き方を詩にした「文子金子」が、金子文子の夫である朴烈の記念館「朴烈義士記念館」(聞慶/ムンギョン)に大きく展示され話題となった詩人である。
 金惠英の四八編の詩は、ときに挑戦的であり、まさしく現代的でもあるといえる。

  あなたという、想像の中の記号を独りで愛しました。
  鱗の落ちた一匹の魚をガラス瓶の中に入れて送りました。
  一万年が過ぎたあと無意識の中に残っているかもしれませんね。
                                                                       (『あなたという記号』より)

 詩の言葉は霧のように生まれ、雨粒となって混ざり合い、やがて、国境など軽々と越えてしまう。言葉の壁など存在しないかのように、直接心の琴線に触れてくる。
詩の背後には人々の暮らしがあり、森や川や田畑が広がり、街へと流れ込む。
韓国の詩の言葉は、渇いた抒情や暗喩の表現に満ちていて、どんな日本人の詩とも異なり、読む人の心にじわりと沁みていく。(『ちぇっく CHECK』VOL.1掲載)

『そしてまた霧がかかった』
李晟馥/著
韓成禮/監修
李孝心 宋喜復/訳
書肆侃侃房
2014年9月刊行
2,000円(税別)

 

 

 

『あなたという記号』
金惠英/著
韓成禮/訳
書肆侃侃房
2012年8月刊行
2,000円(税別)