私が見たものをあなたも見ることができるならばー チョン・ウソンが見た難民の話(내가 본 것을 당신도 볼 수 있다면ー정우성이 만난 난민 이야기)

原題
내가 본 것을 당신도 볼 수 있다면 
著者
チョン・ウソン
出版日
2019年6月20日
発行元
ワンダーボックス
ISBN
9788998602963
価格
13,500ウォン
ジャンル
人文

●本書の概略

紛争や迫害により故郷を追われた難民を保護、支援するほか、難民問題を解決するため、1950年に設立された国連の難民高等弁務官事務所(UNHCR)。俳優チョン・ウソンは2014年、UNHCR韓国本部から名誉使節に任命され、翌年には韓国人初となるUNHCR親善大使に任命された。チョン・ウソンは親善大使として世界の難民キャンプを訪問し、子どもたちと交流するほか、難民が置かれている過酷な現状を伝える活動をしている。

本書はネパール、南スーダン、レバノン、イラクなど世界各国の難民キャンプ訪問を通じ、チョン・ウソンが見た難民や難民キャンプの実態、世界各地の難民問題の背景について記した彼の初めてのエッセイだ。

●目次

推薦文(フィリップ・グラディ国連難民高等弁務官)/序文/プロローグ

第1章:お前、本当に準備できているか?━2014年11月ネパール

第2章:名誉使節から親善大使に━2015年5月南スーダン

第3章:彼らはなぜヨーロッパに向かおうとするのか━2016年3月レバノン

第4章:戦争はいつ終了するのか?━2017年6月イラク

第5章:悲劇はいつから始まったのか━2017年12月ギリシャ、2019年5月バングラディシュ

第6章:突然訪れた異邦人たち━2018年6月済州

第7章:難民の道をたどり━2018年11月ジブチとマレーシア

エピローグ/彼がみたことをともに見つめて(ジャンバルジャン銀行頭取、素朴な自由人代表 ホン・セハ)

●あらすじ

2014年、名誉使節に任命された俳優チョン・ウソンは、ネパールにあるブータン難民キャンプを訪れた。チベット系民族が多数派を占めるブータンでは1990年から、民族差別政策により少数民族のローツァンパ族が迫害され、ネパールの難民キャンプに収容されている。難民キャンプには現在、約26000人が暮らし、これまでに約93000人がUNHCRにより米国や豪州、ヨーロッパなど第3国に移民・定住した。

難民キャンプでは若者たちが演劇を上演し、彼らを出迎えた。演劇では彼らが難民キャンプで暮らすことになったかという内容の短いものだった。決して上手とは言えないが、若者たちの切実な演技に胸を打たれる。演劇に出演していた若者の一人は、「俳優が夢」だと語る。彼は、チョン・ウソンの主演映画「頭の中の消しゴム」を見て、俳優になる夢を抱いたという。チョン・ウソンは「俳優になってソウルで会おう」とその若者と約束した。

難民キャンプでの暮らしは決して恵まれたものではなく、未来も保証されてはいない。それでも故郷に帰る日を、自分の夢を叶える日を夢見て暮らす難民たち。チョン・ウソンは「望んで難民になった人間はいない」と気づく。そして「難民を生み出す現状を改善するためには、難民が弾圧を受ける理由や、どのような命の危険にさらされているのか知らなければならない。知ることが、問題解決の第一歩になる」と。

2015年5月、チョン・ウソンはアフリカ東部の南スーダンの難民キャンプに向った。南スーダンは2011年、スーダンの南部10州が分離独立して誕生した。独立までに部族対立による内戦で約26万人2000人が難民となった。

難民キャンプで出会った子どもたちは、笑顔で彼を出迎えた。明るい姿に感動するが、教育や健康、衛生環境などすべてにおいて生活は劣悪であり、彼らの将来も不透明だ。しかし、明日への希望が彼らを支えているとチョン・ウソンは語る。国境を超え、キャンプで一人で暮らす少年サムソンの父親は彼に「武力に勝てるのは学ぶことだ。お前は南スーダンで教育を受け、記者になり、南スーダンとスーダンの困難な状況を多くの人に知らせてくれ」と言った。父親の意志を受け継ぎ、サムソンは記者になるためキャンプで勉強を続けている。

親善大使として世界の難民の状況を知らせる親善大使として活動を続けるチョン・ウソンに試練の時が訪れる。

2018年1月から、韓国・済州島にイエメン難民が増え始め、5月には約500人に上り、ほとんどが難民申請をした。済州島は観光産業活性化のため外国人がビザなしで30日間滞在できる制度を設けている。ビザなしで入国した外国人は難民申請することで審査期間中は無制で滞在できる。さらに17年12月、マレーシアのクアラルンプールから済州島への格安航空会社の直行便の就航が始まり、済州島に向かうイエメン難民が急増した。難民問題への関心が低かった韓国では、難民の受け入れに対し賛否両論が巻き起こる社会問題に発展した。

チョン・ウソンは2018年6月20日の「難民の日」に自身のインスタグラムに、難民への理解と連帯、イエメン難民に関するUNHCRの公式コメントをアップしたが、非難のコメントが相次いだ。青瓦台の国民請願掲示板には難民申請許可に反対する請願が70万人にのぼった。チョン・ウソンはイエメン難民問題について、韓国社会が抱える対立が表面化したものであり、この問題を通じ、社会の疎外された人々を助ける機会になることを期待する。さらに、イエメン難民に対する誤解や偏見を解くため、「ファクトチェック」を示した。例えば、「犯罪者やテロリストも難民として認められる」という誤解に対して、「難民審査は難民地位協定と韓国の難民法により、国際基準に照らして厳格な手続きのもとで行われ、犯罪者やテロリストが難民に認定されることはない」。また、「難民は第三国への定住を希望している」という誤解には、「難民は経済目的の移住者とは異なる。生活の場を奪われ、自国で暮らせないために仕方なく国を離れた人たちだ」と説明する。

親善大使の活動を通じて、ジョン・レノンの「イマジン」をよく聞いたという。国家、宗教、富の有無がなければ殺人も憎悪も飢えもなく、すべての人が平和に暮らせると歌ったイマジンが誕生した時代も今も、国家や宗教、富の有無がない世界を望むのは夢想家の夢なのだろうか。絶望の中でも希望を失わず故郷に戻る日を待つ難民の姿や難民のそばで難民のために働くUNHCR職員の姿、そして難民が故郷に戻れるよう支援する市民の姿から、ジョン・レノンだけが夢想家ではなかったと気づいたという。

自らも想像する。互いをより愛し尊敬し、よりより世界を。

●日本でのアピールポイント

難民と言うと、どういう人を思い浮かべるだろう。難民の分類は複雑だ。紛争や迫害で故郷や国を追われた人、生活の基盤を失っても国外に避難できず国内にとどまっている失郷民、難民申請者などさまざまだ。

しかし、普段の生活で出会う機会は少なく、背景や境遇に思いをめぐらすことは難しい。特に日本では難民に低申請者数が諸外国と比べても著しく少ない。法務省の今年3月の発表によると、2019年の日本への難民認定申請者数は10375人で、そのうち難民として認定されたのは44人だった。日本だけでなく韓国でも難民問題は関心が低かったが、イエメン難民が済州島入国を巡り、賛否両論が巻き起こる社会問題になった。チョン・ウソンはイエメン難民問題について新聞やテレビで支援の必要性を訴えた。

こうした中、出版された本書では、チョン・ウソンは4年間の難民キャンプ訪問を通して難民の実態と問題の背景について解説している。キャンプで出会った難民一人一人の体験に耳を傾け、真摯に向き合う姿勢からは誠実な人柄が伝わってくる。

本書を通じて訴えているのは、難民が他人事ではなく、だれもが難民になる可能性があるということ、世界がグローバル化する中で人々が難民問題に関心を持ち、相互理解や連帯の必要性だ。UNHCRによると、世界の難民や国内避難民は2019年末時点、7950万人と過去最多となった。他国に逃れた難民は約2600万人。国内の避難民は約4570万人、難民申請者は420万人だった。2010年末から比べると倍増している。さらに世界的に感染が拡大している新型コロナウイルスにより、紛争や混乱が続く国ではウイルスの影響で経済状況が悪化し、貧しい人がさらに困窮し、安定した国を目指し難民が増加する可能性があると指摘されている。

新型コロナの影響で人種差別的な政策を正当化する動きもみられる。分断が進む今だからこそ、人種や国家を超えて人々が連帯する必要性が高まっている。難民への関心もそのひとつになるだろう。チョン・ウソンは韓国映画やドラマが好きな日本人にはよく知られた俳優だ。馴染みの薄い難民問題だが、日本でも人気のあるチョン・ウソンを通して、日本人も難民問題を身近に感じることができると思う。

作成:砂上麻子

著者:チョン・ウソン
1973年生まれ。94年に映画『九頭狐』でデビュー。長身と精悍なルックスで注目を集め、『ビート』『太陽はない』など90年代後半、数多くの映画に主演し人気俳優となり、数多くの映画やドラマに出演。『私の頭の中の消しゴム』では、現在『愛の不時着』で話題を集めているソン・イェジン演じる若年性アルツハイマー病に侵された妻を支える夫を熱演、日本でも大ヒットした。