●本書の概略
『夜の旅行者たち』でアジアの作家として初めて英国推理文学賞「ダガー賞」を受賞した著者による初のエッセイ集。
作家だけではなくラジオのパーソナリティーとしても活躍する著者。週に4日、自宅とスタジオを往復4時間かけて通勤している。そんな彼女が身近な「通勤」をテーマに日常をユーモラスに綴ったのが本書だ。
日々のちいさな失敗や通勤電車で見た不思議な光景、旅行先での特別な出会いや影響を受けた作品に関する真面目な話まで、多様なエピソードが楽しめるのも魅力。本書の刊行にあたり出演したラジオ番組で「想像することは爪を切るほど自然なこと」と語った彼女だが、わたしたちが何気なく見過ごしてしまう日常をおもしろく伝える想像力と文章力は、さすが小説家といえる。本書は全部で60篇のエッセイが収録されているが、ひとつひとつはどれも5ページ前後と読みやすいので通勤のお供に持ち歩くのもおすすめだ。
●目次
プロローグ:南大西洋のペンギンたち
1章:すき間を育てています
2章:通勤中、とりあえず乗ってみます
3章:この旅行のお土産はすき間です
4章:すき間を記録します
エピローグ:作者のことばを書く夜と明日の散歩
●日本でのアピールポイント
多くの人が公共交通機関を利用して通学や通勤をした経験があると思うが、それにつきまとうイメージは乗客でいっぱいの満員電車や、毎日繰り返される退屈な行為というマイナスなものも少なくない。しかし本書を読むと、そんなイメージが覆される。著者は背中に髪の毛をくっつけた人がいればその行方に全神経を傾け、車窓にうつる美しい夕焼けを目にした日には、どこかでクリスマスパーティーをする誰かに思いを馳せる。彼女は通勤という日常を、まるで散歩をするかのように心から楽しんでいるのだ。また、心に抱える悩みや葛藤をありのままに受け入れ笑いに変えてしまう姿は、実にたくましく、自然と笑みがこぼれる。この心の余裕や発想の転換こそ、忙しい現代人に必要な「すき間」なのではないだろうか。
近ごろ日本でも人気を集めている、韓国発ヒーリング・エッセイのような読者を勇気づける具体的なメッセージやアドバイスが並んでいるわけではない。しかし多くの人が共感しやすいテーマだからこそ、彼女の綴る温かさがより一層心に染みる。ありのままの自分や日常を慈しむことの大切さをそっと教えてくれる一冊だ。
(作成:中川里沙)