『それにも関わらず(그럼에도 불구하고)』 孔枝泳

韓国を代表する女性作家である孔枝泳(コン・ジヨン)。1988年に小説家としてデビューし、90年代に『サイの角のように一人で行け』『サバ』などのヒット作を生んだ。世間に物言う女性として、フェミニズム文学の旗手とも目された。
コン・ユが主演した映画『トガニ 幼き瞳の告発』の原作である『トガニ』(韓国では2009年刊行、邦訳は2012年、新潮社)では、実際にあった聴覚障碍者への性的虐待を辛辣に暴き出し、2018年に発表した『ヘリ』ではカトリック教会(天主教)の腐敗をえぐり出して、社会に大きな波紋を投げかけた。

エッセイも多い。最新作の『それにも関わらずー孔枝泳の蟾津江(ソムジンガン)散策』は、作家の近況を伝えてくれるエッセイだ。半島の南を流れる蟾津江の辺に、孔枝泳は今、一人で暮らしている。
デビュー以来30年余りで、累計1200万部を売り上げたという記録を持つ作家は、そこでどんな暮らしをしているのだろう。
本著のソデにある肩書には、「3回の結婚と離婚を経て、現在進行中の訴訟は5つ。SNSには誹謗中傷がずらずらと書かれるが、それにも関わらず、幸せだと言う人」とある。そこからも、作家の波乱万丈な生き様が浮かび上がってくる。

朝起きた作家はまず、鏡に向かってこう唱える。
「私はそのままで美しい。私は素敵だ。私は自分を愛している」
一人での食事にも、決して手を抜かない。庭の花を手折って窓辺に生け、美しいテーブルクロスを敷いて、とっておきの皿に料理を盛りつける。あるいはテラスに腰かけて、川の流れを眺めながら、香ばしいコーヒーとお手製のパンとアンズのジャムを並べる。
いつ誰が訪ねてきても慌てないよう身だしなみを整え、お気に入りの服を選ぶ。一人で家にいるからといって、だらしない恰好はしない。すべては、愛する自分を大切にするために行うことだという。

p51 鏡の中の女が絶世の美女だったら、私の人生はもう少し順調にいっただろうか。少なくとも、自分がその女をもっとたやすく愛せていただろうか。私は鏡の中の女を、長い間、憎んできた。私は日記に「自分が嫌いだ」と書くことが、かっこいいと思う文化に慣れて育った。
おそらく若くて新鮮な時代から、私は自分があまり好きではなかったが、今になって自分を愛せというのか。私は、疲れて年老いて不幸で暗い女に向かって、勇気を出して口を開いた。長いこと無理やり暗記してきた言葉だった。「愛してる。この世で一番美しく大切なあなた!」

美貌と才能と富と名声。他人からすれば、なに一つ欠けるもののないはずに思える作家が、なぜここまで追い詰められ、痛々しいのか。その理由の断片が、チラリチラリと顔を覗かせる。幼いころに受けた性的な嫌がらせ、親や姑との確執、3度の結婚と離婚、信じていた友の裏切り、SNSで見知らぬ人たちから受けた悪質な言葉の攻撃が、作家を苦しめ続けてきた。
沼のような苦痛から抜け出すために、精神医学書に没頭し、カウンセリングを受けた。そして深い自己否定から抜け出して、自分を愛することを学びながら、作家はなんとか心の平安を保ってきたのだ。

都会の喧騒から遠く離れた川辺の家で、孔枝泳は庭仕事をしたり、好きな本を読んだりして過ごしている。そこへときおり、傷ついた女たちが逃げ込んで来る。借金だらけの親に寄りかかられて苦しむ人、夫の浮気に悩む人……。他人にたやすく打ち明けられない、深き悩みを持つ女たちだ。
彼女たちの姿は、過去の作家とも重なる。彼女たちへのアドバイスは、作家が自分自身へ言い聞かせる言葉でもある。

p85 あなたはだれの視線で人生を生きるのか。あなたはだれの視線で自分を見るのか。あるいはだれの視線で子どもを見るのか。そんなことを考えたことはあるか。
そう、その質問をしている私は、……以前、その質問を自分に投げかけた。偉ぶっているのではなく、苦痛が私をそうさせたのだ。私が経験した苦しみが、傷が、とても痛かった。だからそんな質問でもして、とにかく自分を健康に治癒して生きなければならなかった。だからときどき、それにも関わらず、私は苦痛に感謝してもいる。

p241 人のせいで地獄のような日々を過ごした時間が、遥か彼方の前世のように蘇る。おそらく私は知っている。Sの地獄を。そこから抜け出すために血を流した私の若き日々のことを、私は自分でも知らないうちにつぶやいていた。

裕福な家庭に生まれ、優等生としていつも級長を任されてきた学生時代。カトリック青少年サークルのメンバーとして、熱心にボランティア活動も行ってきた。読書好きで勉強ができ、周囲から可愛がられて育った女の子は「悪について、一度も考えたり経験したりする機会がなかった」という。
1980年代の初めに延世大学に進んでから、世の中を知った。貧しさや飢え、そして社会の矛盾。それまで考えてもみなかった現実に、価値観が揺らいだ。裕福な家庭環境を恥と考え家を出て、詩や小説を書き始める。若き日の結婚は、そんな日々の延長にあったのだろう。書くことは、魂の解放でもあったのだろう。ベストセラーを生み出す力量を、孔枝泳は持ち合わせていた。しかしそれすら、幸せへの階段とはならなかったのか。

p47 「私は子どもたちを精一杯育て、お金を稼いで、私はすべてちゃんとやっているのに、彼らが……私は犠牲者です……私はやれるだけのことをやってきました。悔しいです。お金もなく、才能も枯渇して、トレンドも変わってしまって、私はいったいどうしたらいいのでしょう」

敬虔なカトリック信者の孔枝泳は、神の子イエスに向かって訴える。そして絶望のどん底で、彼女は悟る。自分の望んだことが手に入らないことを他人のせいにしてきたのは、まさに自分自身であったことを。自分は一度も、幸せを望んでこなかったことを。

p48 「それでもあの人は、良い人でしょう」……「アルコール中毒者でも」「妻や子を殴っても」「全く仕事をしなくても」「姑があらん限りの悪態をついても」……それでもその人はソウル大を出た博士様じゃあないか、と。……だから私は、本に逃げた。手当たり次第、なんでも読んだ。フロイトとユングの入門書から、スコット・ペック博士の心理学シリーズやカトリックの書籍などから慰めを得た。……数百冊の本を読みながら何年かを過ごし、すべての立派な人たちの幸せになる秘訣は、とても単純な単語でまとめることができることを知った。
今、ここ、そして私自身。その三つの単語だ。

人付き合いに疲れて動物に執着したり、草花の世話にのめり込む人もいる。私をだまさない存在。私の手を必要とする生き物に、人は癒されるから。
それでも私たちはだれもが、人との関わりの中で生きていくしかない。日々、深く傷ついたり、少し嫌な思いをしたりしながら、「それにも関わらず」幸せになろうとする私たち。追いつめられた孔枝泳の姿は、あなたでもあり、私でもある。
「今日が幸せでないなら、永遠に幸せはない」
孔枝泳が自分自身に言い聞かせる言葉を、私も胸に反芻してみる。

p296 一つ悟ったことがあるとしたら、若いころ、一日でも若いころの苦難と苦痛は、徳になるということだ。年をとってからの苦痛は、つらい。実際に苦難と苦痛に打ち勝って成長の動力とするためには、体力も必要だからではないか。
 今日のあなたは、あなたの人生で一番若い。だから今日の苦痛は、あなたに有益だ。その言葉を信じれば、それまで襲いかかった苦痛が、少しでも和らぐはずだ。人生を信じてほしい。

このエッセイでの孔枝泳は、なぜこうも痛々しいのか。正直な性格で隠し事ができず、自身の痛みをさらけ出して見せてしまうからなのか。
いいや、私はそうは思わない。怖がりだと言いながら、怒涛の中に飛び込んで行ってしまう性格。嫌だと言いながら、その世界へ分け入って行く行動力。それは孔枝泳が長年にわたって身に着けてきた、彼女流の個性ではないか。

三度の離婚で姓の異なる三人の子を育てている話は、彼女がある記者に話して広まったことだ。その後も彼女がそれを隠さずに話し続けるから、彼女のプロフィールにまでそう書かれている。
「孔作家は写真よりずっと美人ですね」と男性から言われれば、「私の書いたものについてではなく、私の容貌について話されるのは、不快です」と答えてしまう。それは相手に不快感を与えると同時に、彼女自身に刃となって向かってくる言葉でもあるのに、それでも孔枝泳は、そう言ってしまう。
彼女はまた、政治的な話題にも積極的に口を出し、多くのアンチを生み出してしまう。
育ちの良さや学歴や容姿について言及されるのは不快だと言いながら、「それにも関わらず」、彼女はそれを並べて見せる。まるで傷口をえぐるように。

今、蟾津江の辺に住んでいる孔枝泳は、穏やかな心を保とうと、日々奮闘している。「憂鬱への最も強力な治療薬は、太陽の光とモーツアルトと蟾津江」だと言いながら。どんなことがあろうと、「それにも関わらず」自分は幸せなのだと自分に言い聞かせながら。
『トガニ』や『ヘリ』に登場する、巨悪に戦いを挑む弱き人間たちは、まさに孔枝泳の分身だった。大きな力で追いこまれるほど、さらに底力を発揮する作家だが、幾度もの戦いに精根尽き果て、新しい小説を書けずに苦しんでいる。優雅なはずの川辺の暮らしを痛々しく感じてしまうのは、きっとそのためだ。

p321 三人の後輩への言葉は、実は自分のための言葉だった。しかしそれにも関わらず、私がもっと言いたいことがある。それは、だれかが私を絶壁から落とそうとしたとき、やっと自分に羽根があることに気づいたということだ。人生は私たちをせっせと絶壁に追いやる。そのとき私たちは選択するのだ。墜落するのか、羽ばたくかを。

残酷なようだけれど、読者は、煉獄を知る作家が紡ぐ次の物語を待ち望んでいる。そして、絶壁から突き落とされ、再び大空に舞い上がる姿を見たいと渇望しているのは、きっと孔枝泳自身のはずなのだ。

2021年1月 戸田郁子


戸田郁子(とだ・いくこ)

韓国在住の作家・翻訳家。仁川の旧日本租界地に建てられた日本式の木造町屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。
朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」コラムの連載は10年目。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』(アルク)など多数がある。