●本書の概略
表題作『あの此岸の先知者』は2013~14年に科学系ウェブジャーナル『CROSSROADS』に掲載された同名の中編連作を再解釈したもの。「この世」ができた背景や輪廻転生、仮の人格に執着し「堕落」する姿など、仏教や哲学的な要素が盛り込まれたSF小説。表題作のその後を三通りに描いた外伝『そのひとつの生について』と、見知らぬものに対する恐怖にとらわれた人間の思考や行動を描いた短編『夜明けの汽車』も収録されている。
●あらすじ
『あの此岸の先知者』:一つの「知性のかたまり」だった宇宙が分裂して先知者たちが生まれた。その一人、アイサタはナバンとアマンに分裂し、さらに分裂を繰り返した。アマンのアイデアで、自分たちのいる彼岸(冥界)とは別の場所に、さまざまな経験を通して学びを得る「学校」すなわち此岸(下界)が作られた。先知者や弟子たちは消滅期限(=死)つきで冥界から下界へと送り出され、期限が来たら冥界に戻ってくる仕組みだ。だがそのうちアマンが下界での人格に執着しはじめ、下界こそが真の世界、冥界は偽の世界だと信じるようになった。「堕落」だ。やがて下界に堕落が蔓延する。ナバンはアマンの分裂体を吸収してもとのアイサタに戻ることで下界の堕落を食い止めようとするが、失敗。その過程で自身も堕落したナバンは、吸収したアマンもろとも自らを爆発させる。アマンは解体され、粒子となって下界に降り注ぎ、さまざまな肉体に入り込んだ。弟子タンジェの造った宇宙船に墜落したナバンは、タンジェに自分を下界に送ってほしいと頼む。「一度きりの生でもいいから生きてみたい」と。下界でアマンと再会することを期待しながら。
『夜明けの汽車』:昼の気温は55度、夜は零下45度という惑星キバが舞台。自転速度が遅く、キバの1日は地球の30日に相当する。人々は、「時間線」に沿って走る、時の流れない汽車に乗って暮らす。ある日、乗客たちは、並走していたジープの男を汽車に乗せたが、何かを企んでいるのではないかと疑い、寝台車に閉じ込めて暴行する。無抵抗の男は部品を手に入れては黙々とジープのエンジンを作るが、乗客はそれを破壊する。その後、惑星を一周してきた汽車が再びジープのそばを通りかかると、ジープはまるで生物のようにみずからエンジンをかけて走りだした。
●目次
あの此岸の先知者
夜明けの汽車
そのひとつの生について
●日本でのアピールポイント
彼岸や此岸、地獄、輪廻転生など日本人にもなじみのある概念が下敷きになっているので、物語がイメージしやすいと思う。SFらしい描写が盛りだくさんで、まるで映画を見ているように状況が頭に思い浮かぶ。著者の描く独創的な世界に浸って楽しく読めるだろう。巻末に設定や用語の起源についての解説もあり、理解を助けてくれる。
作成:牧野美加