●本書の概略
過去30年間、法医学者として4,000体あまりの遺体を解剖してきた著者が、数多の死を通して気づいた「生とは何か」を綴る。
韓国の年間死亡者数は約20万人、そのうち3万人弱が死因不明とされる(本書より引用、2012年基準)。しかし死には必ず経緯や原因があり、それを調査することは将来起こりうる別の死の予防、すなわち生きている人々のための安全対策に繋げることができる。ただ現実では、例えば大規模な事故が起こった場合に責任の追及や過失の糾弾ばかりに目が向き、肝心の原因解明や、構造・システム自体の見直しは後回しにされやすい。このような社会では批判を恐れてミスを共有できず、同じ過ちが繰り返されてしまう。
著者はこれを社会的な問題として捉え、改善に向かう空気を醸成して制度を整えていくことが、より良い社会、ひいては個々のより良い人生を実現するための優先事項だと唱える。
本書では著者が経験した事例を挙げ、法医学者として医療従事者と遺族の間に立ちながら得た、死や悲しみとの向き合い方についても語られる。多くの死と接してきたからこその冷静な視点で、様々な哲学書や詩などの引用を交え、生きることを肯定的に捉えるためのヒントを述べている。まさにタイトルどおり、今を生きる人々が死から学び、人生を充足させるための手助けとなる一冊だ。
●目次
はじめに
1部 死者が生者に教える
2部 生は死からどれほど遠くにあるか
3部 私の死、君の死、そして私たちの死
索引
●日本でのアピールポイント
「死」は誰にでも訪れるものでありながら、生きている私たちがそれを知る方法はない。考えても仕方ないから、もしくは考えることが怖くて、目を逸らしている人も少なくないだろう。しかし法医学者として多くの死を見てきた著者は、自身の経験から様々な事例を紹介し、死までを含めた人生そのものに対する考え方を示してくれる。中にはショッキングで悲しいエピソードも書かれているが、真摯かつ穏やかな文体に、他者の苦痛に寄り添う著者の姿勢が表れている。
本書では韓国の社会的な課題にも言及している。死因不明のまま死亡手続きが進んでしまう制度的な問題。事故や事件の責任を誰かに押しつける体質、そして改善されず放置された構造的欠陥の犠牲になる弱者たち。これらの問題点は日本にも適用できる。日本も法医学者数が少なく、解剖の割合が著しく低いという。また責任の所在や原因も曖昧なまま誰かが非難され、結局は立場の弱い者が犠牲となってしまう事件・事故は枚挙にいとまがない。そんな社会がどう変われば、「予防できた死」を避けられるのか。著者が語る健全な社会への道は、日本においても重要な助言となるはずである。
(作成:森 彩友美)