ゴーイング・ホーム(고잉홈)

原題
고잉홈
著者
ムン・ジヒョク
出版日
2024年2月22日
発行元
文学と知性社
ISBN
9788932042589
ページ数
318ページ
定価
17,000ウォン
分野
小説

●本書の目次と概略

『初級韓国語』『中級韓国語』が韓国で多くの読者に支持され、邦訳が待たれる作家ムン・ジヒョクの3冊目の9編からなる短編集。

エア・メイド・バイオグラフィー
新型コロナウイルスによるパンデミックの渦中で、アメリカに住む「私」とその妻が義父の危篤の報を受けて韓国に帰る。アメリカで波乱に富んだ人生を過ごしたあと、韓国に戻っていた義父。生きているのでも死んでいるのでもない、空中にいるのでも地面にいるのでもない、アメリカにいるのでも韓国にいるのでもない。韓国に向かう飛行機の中、そんな空間で「私」は義父の人生を振り返りながら旅の記録を書いていた。

ゴーイング・ホーム
ク・ヒョンがサイトで偶然見つけたAI試験参加者の募集広告。シカゴからNYまで車に乗り、質問に答えて話し続けるだけで報酬が500ドルという条件にひかれ、応募を決めた。進行役の女性の説明によれば、彼の話をもとにAI小説がつくられるらしい。ところがサービスエリアで停車中に眠ってしまい、目覚めると車の外は見慣れない景色が広がり、女性の服装も変わっていた。気を失って再び目覚めたヒョンは無事にNYに到着するが、彼が語った話も実は虚構だった。

ピンク・パレス・ラブ
NYに留学している韓国人大学院生の夫婦が、はじめての結婚記念日にフロリダで休暇を過ごす。宿泊先は別名「ピンク・パレス」と呼ばれる築百年以上のホテル。二人は近くの美術館に行き、サルバトール・ダリの「亡き弟の肖像」を鑑賞する。生きていると思っていたのに死んでいた元恋人に会った夫と、自殺したと思っていたのに生きていた初恋の相手と会った妻。微かな歌声に呼び寄せられるように過去と向き合う二人の姿を描く。

クリスマスの回転木馬
叔母夫婦と12歳になる彼らの娘エミリーと一緒に、亡き母が学生時代に訪れたディズニーワールドにやって来た「私」。人の多さに辟易し、エミリーを一人残しカフェで休憩することにした。エミリーを一人にしたことを叔母夫婦に責められ、必死に連絡を試みるが、スマホは応答しない。実はエミリーはディズニーワールドで一家心中した一家の生き残りで五歳の時に叔母の家に迎えられた養女だった。回転木馬で実母との最後の会話を思い出していたエミリー。エミリーの言葉に、「私」も自分にとっての母親について考えさせられる。

ゴールド・ブレス クリーニング店
NY大でジャーナリズムを学ぶヨンは、同じ大学で英文学の博士課程に在籍する男性と知り合ったが、うっかり彼のジーンズにキムチチゲをこぼしてしまう。責任を感じたヨンがジーンズを片手に訪れたのは「ゴールド・ブレス クリーニング店」。店主は無愛想だが腕は最高だった。かつて「ブルーノート」でトランペットを演奏していたこともある店主にヨンは課題のインタビューを依頼する。ヨンはジーンズの彼と急速に接近するものの、留学生サイトに彼の素行の悪さが暴露される。彼と音信不通になった後、クリスマスパーティで白いダウンにコーヒーがこぼれ、再び訪れたゴールド・ブレスクリーニング店のネオンサインは、いくつかの文字が消えて「ゴッド・ブレス」という文字が輝いていた。

ビューイング
アメリカに来て間もない私は教会でメン先生に出会い、土曜日の午前中、ハングル学校で子どもたちに韓国語を教えることになった。授業が終わるとメン先生と私はハンバーガーを食べ、車で送ってもらって帰宅する。先生からの助言は「ノアという子を注意深く見守って」。そのノアがクラスの友人と喧嘩をして、止めに入った私も巻き込まれ、大騒ぎになる。ちょうど同じ頃、メン先生は脳卒中で倒れ、私もハングル学校を辞めざるを得なくなる。帰国前に会えなかったメン先生の訃報が韓国に戻って大学での職を得た私に届く。

ナイトホークス
2022年の大晦日、ワインとステーキでささやかに新年を迎えようとしていた留学生夫婦。妻が割れた皿で手首を負傷するが、留学生で無保険のアメリカで途方に暮れる。薬局で処置を断られ、最初に行った病院は人が多すぎてどうしようもない。やっと別の病院を探し出して処置を受けることができたが……。二人が治療を終えて食事をとることにしたレストランの名前は「ナイトホークス」。妻が同名のエドワード・ホッパーの絵に気づく。その絵を見ながら夫は「芸術は単焦点レンズ」という恩師の言葉を思い出していた。

サンシャイン・イン・ザ・ガーデン
神学を学ぶためにアメリカの大学院で学ぶ韓国人留学生ヌルボムは、ある日隣に住む中国人女性から、共同住宅の庭におかしな構造物があると抗議を受けた。卒業を間近に控え、指導担当の牧師から、アメリカで教会のスタッフとして働くよう提案される。性のアイデンティティの問題を抱えた自分が牧師になることに恐怖を感じるヌルボム。一方、庭の構造物は、イスラエル人がエジプトから解放され、自由を得たことを祝う祭り「スコット」で使われる「スッカ」というテントだった。

私たちのファイナル・カット
「私」はサークルで一緒だった仲間たちとドキュメンタリー映像の制作を企画していた。プロジェクト名は「ファイナル・カット」。彼らは、祖母の葬儀のためにアメリカから韓国に来て、行方不明になっている父親を探す22歳の女性のインタビューの撮影を始める。母はすでに別の男性と再婚し、祖母が亡くなった今、障がいのあった父親を顧みる人は誰もいない。撮影スタッフの協力で父が入所している施設を見つけることができたが、すでに3週間前、この世を去っていた。遺品を受け取った女性が小さな金庫を開けてみると、そこには大量のテレフォンカードが入っていた。

解説 悲しみの生涯 パク・ヘジン(文芸評論家)

作家のことば

●日本でのアピールポイント

『初級韓国語』『中級韓国語』が韓国で多くの読者に支持され、邦訳が待たれる作家ムン・ジヒョクの3冊目の短編集。韓国では過去の歴史の中で、多くの人々が「他郷暮らし」を選択している。近代以降はこれら「失郷民の文学」は一つのジャンルを形成したと言っても過言ではない。ムン・ジヒョクもまた、ニューヨーク大学大学院への留学経験をもとに、主にアメリカを舞台に、異郷の地で暮らす人々を描いて来た。2022年から23年に集中して執筆され、本書に収録された9編の短編は、アメリカという「他郷暮らし」を素材にしながらも、時間と空間、世代、生と死、男と女、親と子などさまざまな「境界」で生きる人々の姿がモザイクのように配置されている。新型コロナウイルスのパンデミックで私たちはそれまで意識していなかった「国境」という境界を強烈に意識せざるを得なかった。本書においても確かだと思っていたアイデンティティが、いともたやすく崩れ落ち、破片となって散らばる瞬間が鮮やかに描かれている。それでも日が暮れてしまわないうちに「家に帰る」ことができるはずだというムン・ジヒョクの視線は、暖かく優しい。

(作成:中村晶子)

ムン・ジヒョク
1981年生まれ。小説家・翻訳家。2010年小説「チェイサー」でネイバー「今日の文学」に選ばれデビュー。ニューヨーク大学人文社会学修士課程で学び、同大学で韓国語を教えた経験や日常生活に題材を取った『初級韓国語』(2020)、『初級韓国語』の話者が帰国し、韓国の大学生に文章の書き方を教える設定の『中級韓国語』で多くの読者を獲得した。長編に『チェイサー』(2012)『ビブリオン』(2018)『Pの都市』(2023)、短編集に『ライオンとの二夜』(2011)、『私たちは橋を渡る時』(2022)がある。