古びた日記

原題
오래된 일기
出版日
2008年11月28日
発行元
チャンビ(창비)
ISBN-13
9788936437084
頁数
266
版型
A5

ハン・ガン(韓江)作家の『菜食主義者』がマンブッカー賞を受賞するなど、世界でも注目されている韓国小説ですが、国内外で高く評価され、現代韓国文学を代表する作家として、イ・スンウ(李承雨)作家が挙げられます。『生の裏面』(金順姫訳・藤原書店)、『植物たちの私生活』(同・藤原書店)、『真昼の視線』(同・岩波書店)、『香港パク』(同・ 講談社)と既にいくつもの邦訳作品があり、日本でも文学性の高さには定評があります。ここでは短編小説集『古びた日記』をご紹介します。

●概略

 『古びた日記』には九篇の短編が収められている。各作品には共通して「罪の意識」がテーマである。表題作「古びた日記」は、父親の死に対する罪意識から脱け出すために、小説を書き始めた「私」が、小説を完成させてすっきりした気分になる。「私」はその小説で登壇を果たし小説家になるが、すでに小説を書くことで目的は成就されたため、逆説的にもはや小説を書く必要はなくなった。「それで充分だと思った。『もういい』しかし十分でないことをすぐに悟る」、何が十分ではなかったのだろうか? 「私」は父親が亡くなり、伯父の家で一緒に暮らした従兄の圭を傷つけていた。その圭のためにも「私」は小説を書き続ける。

 「誰か私のために胸を痛める人がいたとしたら、私は何もしなかったと堂々と言えるだろうか」、この問いかけは『古びた日記』の全編に通底している。李承雨の小説は、人それぞれの記憶の中に深く埋められている、古い日記帳を取り出させ再読を迫ってくる。そこに綴られている古い文章は、私たちが根源的な罪の意識から、どのように逃れてきたのか、揺るぐことがないと思い暮らしている家が、いかに危ういものなのか、私たちはどうして他人とうまく心を通わせることができないのか、そして私たちの現在は出発点からどんなに外れてしまっているのかを改めて問いかける。これらの質問に、口ごもりながら答えた瞬間、私たちは初めて李承雨小説の最初の読者になり、自分自身の人生の唯一の著者になるのである。

●収録作品

1) 「古びた日記」

2)「何かが、何も」

3)「他人の家」

4)「傳奇叟物語」

5)「失踪事例」

6)「部屋」

7)「正南津行」

8)「風葬-正南行2」

9)「999」

解説 李順姫(イ・スヒョン)

作家の言葉

●試訳

 圭(キュ)の病状が、病院でも手の施しようがないほど悪化していると知らせてきたのは彼の妻だった。どれほど長い間連絡を取らずに過ごしたのか、チュニヨンの母です、という彼女の声をすぐには聞き分けられなかった。声も声だが、チュニヨンという名前を聞いてすぐに圭のことが思い浮かばなかったのは、その責任がすべて私にあるわけではないとはいえ、若干面目ないことだった。私はどうしようもない恥ずかしさを感じた。彼女は弱々しい声で、一度病院に見舞いに来てほしいと言った。どれくらい持ちこたえられるか分からない状況なので死ぬ前に顔でも見に来てほしいということだった。「どういうことなんですか?」訳が分からず聞き返す私に、意外にも彼女は落ち着いて圭の容態を説明した。消化が十分にできなくて胃がもたれる症状がしばらく続いて病院で診察を受けたところ、医者からもう手の施しようがないと診断されたというのだ。肝臓にできたガンが血液にまで転移した状態だと医者は言った。病院に来るのがあまりにも遅かったということ。こんな状態になるまでどうして病院に来ようとしなかったのか、いくら末期になるまで症状がよく現れない病気だとはいえ、その無神経さはとても理解できないと医者は言った。ここまで進行していたら体に何度も異常を感じたはずだというのが医者の考えだった。鎮痛剤を処方する以外には病院では治療できることは何もないと言われたので、空気の澄んだ田舎にでも行って療養しようと考えたが、それも思い通りにはいかなかったと彼女は言った。退院の一日前、突然臓器が破裂して大量に出血したため手術を受けて集中治療室に移されたということだ。数日後に意識は戻ったものの、いつどうなるか分からない状況らしい。「ひと月持つか、それも保証できないそうで」実感が湧かないからそうなのか、それでなければすでに諦めてしまっているのか、彼女の声は淡々としている上に落ち着いていた。(8頁から9頁)
                                                

●日本でのアピールポイント

  李承雨の作品は、すでに日本で4作品が出版されている。『生の裏面』は出版と同時に、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、読売新聞、京都新聞、日本経済新聞などに書評が掲載され、その文学性を高く評価された。李承雨作品のテーマは重いが、衝撃的なエピソードと謎が読者をひきつける。李承雨は「読書は話の旅みたいなものです。内容はつらくても行程は面白いものにしたい」と語っている。彼にとって最も重要なテーマは、自分とは何か、生きるということは何かという「実存の探求」である。「個人の事実を超えて人間の普遍的な真実を映し出すため、小説という虚構の形式を使用しているのです」とも述べている。『古びた日記』でも「罪の意識」をテーマに普遍的な真実を映し出している。表題作「古びた日記」は、「すばる」(2013年11月号)の「海外作家シリーズ」にも掲載された。

著者:李承雨(이승우)
李承雨は、1959年に海辺の村、全羅南道長興郡冠山邑神東里で生まれた。1981年に「韓国文学」新人賞『エリュシクトンの肖像』が当選して登壇し、1993年には『生の裏面』で第1回大山文学賞を、2002年には『私はとても長生きするだろう』で第15回東西文学賞を受賞して、小説による形而上学的探求の道を歩いてきた。その後は、2003年に『尋ね人広告』で第4回李孝石文学賞、2007年『傳奇叟物語』で現代文学賞、2010年『ナイフ』で黄順元文学賞を受賞、2013年『地上の歌』で東仁文学賞を受賞した。現在、朝鮮大学の文芸創作学科の教授として在職中である。
日本ではすでに『生の裏面』(藤原書店、2011)、『植物たちの私生活』(同、2012)、『真昼の視線』(岩波書店、2013)、『香港パク』(講談社、2015)が出版されている。『植物たちの私生活』が、韓国小説として初めてフランスのガリマール社から刊行されるなど、主要作品が英、仏、独、露、中などで翻訳刊行され、あるいは翻訳が進行中で、世界的に評価が高まっている。2013年には、ガリマール社の「ファオリオシリーズ」から『そこがどこであれ』と『植物たちの私生活』が相次いで刊行された。