告白の帝王

原題
고백의 제왕
出版日
2010年4月5日
発行元
チャンビ(창비)
ISBN-13
9788936437121
頁数
283
判型
A5

韓国では純文学作品ばかりが高く評価され、人気を得る傾向が強かったのですが、ここ数年、ミステリー、ファンタジー、SFなどジャンルも多岐にわたって出版され、注目されるようになってきました。 2月は韓国でも人気を博すようになったジャンル小説を紹介していきます。 今週は、『日本語で読みたい韓国の本-おすすめ50選』第3回から、ファンタジー小説『告白の帝王』です。

●概略

 詩人として、小説家として、文学評論家として多方面で活躍するイ・ジャンウクの小説集。表題作『告白の帝王』、ムンジ(文知:文学と知性社)文学賞を受賞した『コンナン旅館』を含む8作品を収録。現実と幻想、真実と偽り、現世と霊界が奇妙に、絶妙に混在する独特な時空間へと読者を引き込む。

●各章のあらすじ

 『東京少年』

東京に来た観光客らが集中豪雨で足止めをくった。旅館のロビーの片隅に座っていた韓国人青年がつぶやく。 「ぼくのユキは、本当に死んだのでしょうか……」 彼が韓国で出会ったユキは、とてつもなく影の薄い少女だった。日増しに存在感が薄れ、人々は彼女の存在に気づかなくなっていく。彼はユキの生気を回復させるため彼女と日本に来たが、彼女の姿も声も薄れゆく一方だった。そして、ついには空気に溶け込んだように、彼女の姿が見えなくなる。彼が彼女の存在を確かめるべく空中に向かって剃刀を振り回すと、空中から鮮血が流れ出た。彼は、突如わきおこった怒りにも似た感情に衝き動かされ、空中にうっすらと見えた彼女の手を引き寄せベッドに押し倒し、目には見えないが感触は感じられる彼女の首を絞めた。彼女は死んだのだろうか。確かめるすべはない。やがて雨脚は弱まり、通りへと歩き出す彼の上には傘が広げられていたが、傘を持っているのは彼ではなかった。傘は、ふわふわと宙に浮かんでいた。

『告白の帝王』

パッとしない容貌、無口で不愛想。そんな郭につけられたあだ名は「告白の帝王」。流暢とは言えない話しぶりの彼が「告白」を始めると、聴衆は静まり返り、誰もが話に引き込まれる。彼の話はそんな魔力をもっていたが、決して楽しい話ではなかった。還暦を迎える女性との初体験、姉を自殺に追いやった過去、母を殴る父を刺した事件。真偽もわからない話ばかりだったが、誰もが彼の話に夢中になった。しかし、彼が歴史上の出来事を思い出のように語り、他人の秘密を暴露するようになると、友人らは郭の元から離れていった。しかし、陰では誰もが郭と会い、彼の告白を楽しんでいた。そんな彼が、何年かぶりに大学時代の集まりに呼ばれる。

『アルマジロの空間』

赤い帽子をかぶった少女が宙を舞う。タイヤがきしむ音に思わず目を閉じている間に少女の姿は消え、道端に赤い帽子だけが残されていた。 その車は去年の夏を走っていた。少女は25年前の冬を歩いていた。運転手は夏の空に舞う雪を目にし、25年前の冬道を歩く少女をはねた。そんなことが起こりうる「アルマジロの空間」。 野外ステージ上でジャンプをした女性歌手が、空中で何かにぶつかったかのようにバランスを失い、地面にたたきつけられ死亡した。路地裏の小さな部屋では、少年の体が突然はねあがり、天井に激突して死亡した。二人もまた、数十年前を走る車にひかれたのだ。そこが、アルマジロの空間だったから。

『汽車、おなら、カタコンベ』

パリへと向かう列車の中、私はあなたの思考へ入りこみ、そっと囁きかける。あなたは、自分の頭に浮かぶおかしな考えに戸惑いを見せる。 カタコンベへ向かう二人旅の出発は、私の葬儀の数日後。あなたは予約を取り消しもせず、一人で二人旅に出た。私があなたの耳元で、必死に囁き続けたんだもの。一緒に行くのよ、二人で一緒に、一緒によ、って。 橋が崩壊した日、登園を嫌がるヨンウンを無理に幼稚園に行かせなければ……私が友だちと会う約束なんてせず、ヨンウンと家で過ごしていれば……そんな後悔ばかりが頭に浮かんだ。 私の運転する車は橋の欄干を突き破り、水中に沈んだ。あなたはただの事故だと考えたけれど、私はずっと思っていたの。ほんの少しだけハンドルを切れば、すべてが終わる、ほんの少しだけ、って。 ニースで食べた中華料理のせいで、あなたの腸が唸ってる。餃子を食べさせまいと、あなたの箸を揺すったり、気をそらせてみたりしたのに。今にもガスが噴出しそうなのを、あなたは必死にこらえてる。向かいに席の金髪の美女を気にしながら。

『コンナン旅館』

今日みたいにどんよりとした日は、厄介な客が集まりやすい。こんな日に泊まりに来た老議員が、数日間、部屋で酔いつぶれていたこともあったし、女子学生二人が、遺体となって発見されたこともあった。何か厄介なことが起こりそうな天気のせいで、旅館の主人サンテは、受付に現れた3人の男女を警戒し、彼らを盗聴器付きの202号室に案内した。しかし、この盗聴器は、誰もいないはずの部屋の話し声を伝えてくることがある。清掃係の不気味な老婆は、202号室が亡霊たちの集まる部屋だからだという。 自殺サイトを通して集まった3人は、やがて、険悪な雰囲気を漂わせ始めた。サンテが202号室へ向かうと、ほうきを持った老婆と共に、どこか見覚えのある客たちの姿が見えた。あれは、あの時の老議員だろうか。そして、自分を呼ぶ声に振り向くと、やはり見覚えのある二人の女子学生が立っていた。 「おじさん、部屋はある? 」

『夜を忘れたあなたに』

不眠症に悩む女が専門医を訪れた。最近は空き巣被害にも悩んでいるという。警察の調査で、部屋からスニーカーの足跡が検出された。鑑識班の男は、その足跡に手をかざして目を閉じる。彼によると、犯人は背が高く、重さがほとんどない男だという。玄関には、3年前に他界した夫のスニーカーが置かれていた。 医師もまた、不眠症を抱えていた。妻との離婚後、割れるはずのない分厚いガラス製のテーブルにひびが入る、掃除したばかりの床が埃まみれになる、自分の残り少ない頭髪からは考えられないほどの毛髪で排水溝がすぐ詰まるなど、不可解なことばかりが起こる。 若い男女が二人、マンションの部屋に空き巣に入ろうとしていた。そんな彼らの背後では、スニーカーをはいた長身の男が、鍵のかかったドアを通り抜け、室内へと消えていった。

●試訳

地平線に浮かぶ雲が、山羊へ、熊へ、象へ、そして、赤く巨大な鯨へと姿を変える。鯨は、夕日が沈む空をゆったりと泳いでゆく。私は、貴方の耳元で囁く。人間は、人間が想像できることだけ想像するわよね。山羊や熊、象、鯨が想像することを、人間は想像できないのよ。よかったわ、でしょ? 山羊や熊、象、鯨も、人間が何を考えているのか、知らないだろうから。 貴方は、自分が突拍子もないことを考えていると感じる。私が貴方の耳元で何かを囁くたびに、変だな、なんでこんなことを考えるんだろう、と貴方はつぶやく。当然だ。以前の貴方だったら、まったく考えもしなかったことばかりだから。 (中略) 窓の外では、相変わらず山羊と熊と鯨、そして象が見える。遠くには細い川が流れ、木々が森をなし、車窓に貴方の顔が映る。貴方はドキッとする。車窓に映った自分の顔が、一瞬、私とそっくりに見えたから。実は、私が少しだけ、貴方の顔に染み入っただけなんだけど、貴方はそれを知らない。貴方は、車窓に映った顔が、なんだか死人みたいだと思うだけ。 そう。死人の顔を、貴方は見たことがなかった。ヨンウンの顔を見るまでは。そして、私の顔を見るまでは。 (『汽車、おなら、カタコンベ』より p143、147)

●日本でのアピールポイント

一つ一つの文章が絶妙に絡み合うことで作品を成しており、短い作品の中に、物語としての必要な要素が凝縮されている、そんな印象の作品が集められた小説集だ。淡々とした語り口調ながらも謎めいていて、物語が進むにつれ謎が少しずつ解けてゆく。そんなパズルのような作品ばかりだ。そして、異空間の奇怪さを含みながらも、幻想的な美しい風景を見せてくれる、そんな魅力ももっている。ナンセンス、ファンタジー、ミステリー、さまざまな要素を含んだイ・ジャンウク作品の世界を、たっぷりと味わえる一冊である。

著者:イ・ジャンウク(이장욱)

1968年ソウル生まれ。1994年、文芸誌『現代文学』に詩が紹介されデビュー。 2005年、長編小説『カロの愉快な悪魔たち』で文学手帳作家賞を受賞し、本格的に活動を始める。そのほか、若い作家賞、ムンジ文学賞などを受賞し、今年5月、短編小説『僕たちみんなのチョン・グィボ』で金裕貞文学賞を受賞。朝鮮大学文芸創作学科教授を経て、現在、東国大学文芸創作学科教授として在職。