朝鮮引揚げと日本人―加害と被害の記憶を超えて

『日本語で読みたい韓国の本-おすすめ50選』で紹介した作品から、実際に翻訳、刊行に至ったものも多くあります。
昨年12月に刊行された『朝鮮引揚げと日本人―加害と被害の記憶を超えて』(李淵植著、舘野晢訳 明石書店)もそのような本の1冊です。

大陸や朝鮮半島からの引き揚げ時における想像を絶する苦労については、たくさんの手記や小説に書かれていて、『流れる星は生きている』(藤原てい著)、『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記』(ヨーコ・カワシマ・ワトキンス著 都竹恵子訳)などが有名です。
これらの手記が個々の苦労に焦点を当てているのに比べ、本書は在留日本人の引き揚げ全体について、著者が長年収集してきた資料をもとに、多角的に語っているところに特徴があります。

訳者あとがきの一部をご紹介します。 

訳者あとがきより

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著者、李淵植氏は、戦後の日韓関係史の専攻研究者で、「国際的な人口移動」を主たる研究テーマとしている。本書が取り上げた内容は、李氏がソウル市立大学校に提出した博士論文「解放後における韓半島居住日本人の帰還に関する研究」を基礎にしており、それを一般向けの人文書として再生させたものだ。「人文書の危機」を憂慮する李氏にとっては、申し分のない素材だったのだろう。

本書の執筆意図は、このたび新たに書かれた長文の「日本の読者へ」に尽きている。敢えて重要な部分を抽出しておくと、「個々人の経験は絶対的かつ貴重なもので、それ自体として尊重しなければならない(略)しかし、同時にそうした経験が“個人”の領域を越えて“集団の記憶”“権力が介在した公的記憶”に転化されることもある。それだけに,歴史的構造と背景を無視し、自己満足的に合理化する根拠になりもするし、歴史的事実すらも歪曲され、他人や多国を攻撃する武器にもなる。だから厳密な学問的検証を通じて、そうした記憶と認識が形成される過程と特徴を、徹底的に明らかにする必要がある」ということになる。

著者は一面的に事物を観察し、自己の限られた認識を一般化することの危うさを戒める。敗戦直後、朝鮮人が日本人に加えた「暴行」「強奪」などについても、植民地時代の日本人が、朝鮮人にいかに対したかを抜きにしては、論じられないという。植民地で支配する側に属した日本人が、敗戦後は一朝にして「被害者」に変わったことなどは、信じられないというのだ。「被害」と「加害」についても、冷静な判断を求めている。

本書の各章では、敗戦後の抑留過程での様々な事件や葛藤の様相を、客観的資料に基づいて解明している。それらの、いまではブラック・ユーモアと感じられるかもしれない個々の事象・事件にも、植民地支配の痕跡が深く刻み込まれているのだ。植民地支配権力の内部葛藤が、敗戦後の在朝日本人社会に、大きな影響を与えたことも忘れてはならない。それらを踏まえて、日本(人)と朝鮮(人)の関係に何を読み取るのか、どうすべきなのか、いま読み手側の歴史認識が厳しく問われている。

(中略)

思い起こせば、中国河北省北戴河海濱(中国の党と政府が重要会議を開催する避暑地)で敗戦を知り、3か月あまりの集団抑留生活を体験した後に、天津港からアメリカ軍の上陸用舟艇に乗り、佐世保港にわが家族がたどり着いたのは、1945年12月初旬のことだった。
私たちの場合、中国東北部や北朝鮮に居住された方々に比べれば、苦難の度合いは少なかった。しかし、私たちも本書のあちこちに描かれているように、不安、葛藤、食糧難、共同生活のトラブルなどをたっぷり味わった。それだけに翻訳作業をしながら、本書に記録されていることの数々が、ひとごととは思えなかった。手記や体験記の一場面が、私の体験と重なり合う部分もかなりあり、ついPC操作の指が止まってしまうこともしばしばだった。本書・・頁のイラスト(原文42頁)に至っては、引揚げの際のわが母の姿そのもので、そこからしばし目を逸らすことはできなかった。