釜山の文学館<上>「楽山文学館」(韓国通信)

以前このコーナーで、推理作家・金聖鍾(キム・ソンジョン)の設立した「推理文学館」をご紹介しましたが、釜山には文学館があと二つあります。農民文学で知られる小説家の金廷漢(キム・ジョンハン/1908~96)の「楽山(ヨサン)文学館」と、児童文学をはじめ幅広い創作活動をした李周洪(イ・ジュホン/1906~87)の「李周洪文学館」です。

金廷漢の号を冠した「楽山文学館」は、彼の生まれた慶尚南道東莱郡北面南山里(現・釜山市金井区南山洞)の静かな住宅街にあります。2003年に生家が復元され、その隣に06年に建てられました。彼の生涯や作品を紹介する展示室のほか、彼の蔵書や一般図書を所蔵する図書室、セミナー室、講堂、創作室があります。展示室にはイラスト入りの子ども向け年表もありました。以下、文学館の資料などをもとに彼の生涯をまとめてみました。

 

 

 

 

 

 

 

金廷漢は1908年、7人きょうだいの長男として生まれました。生家近くの古刹・梵魚寺境内にあった明正学校(現・金井中学校)に入学した1919年、三・一独立運動が起こります。明正学校は民族意識の高い学校だったこともあり、当時11歳だった彼も運動に参加したそうです。その後、ソウルの中央高等普通学校に進学しますが、翌年再び釜山に戻り東莱高等普通学校に転校。このころから文学に深く親しみ、ドストエフスキーやハイネを好んだという彼は、民族の厳しい現実を文章で表現したいという思いを強くしたといいます。
19歳で結婚。卒業後、蔚山の大峴公立普通学校(小学校)で教師として働きはじめます。しかし、日本の民族的差別による待遇に不満を抱き朝鮮人教員連盟を組織しようとしていたところ検挙され、学校も辞めることになりました。1929年日本に渡り、翌年、早稲田大学附属第一高等学院文科に入学。このころから詩や『구제사업(救済事業)』などの小説を文芸誌に発表しはじめます。
1932年に帰国。当時、梁山で起こった農民蜂起事件に関する被害調査や農業組合の再建に取り組んでいたところ、再び検挙されます。このときに発表した短編『그물(網)』は農民たちの厳しい現実を描いています。翌年、南海公立普通学校に教師として赴任したころから農民文学を志すようになります。寺所有の田畑を借りて生活する小作農民の貧しい生活を描いて朝鮮日報の新春文芸に当選した『사하촌(寺下村)』もこのころの作品です。39年に南海郡の南明公立普通学校に転任しますが、学校で朝鮮語を使えない状況だったので翌年学校を辞め、故郷の東莱に戻って東亜日報(民主主義・民族主義・文化主義を掲げ1920年創刊。当局からたびたび弾圧を受けた)の支局を運営します。ですが、夜中に支局の看板が引き剥がされ、配達中の新聞を奪われるなどしたうえ、治安維持法違反で検挙されます。金廷漢は筆を折り、慶尚南道庁商工課傘下の綿布組合の書記として就職し、45年まで勤務します。同年8月12日に「不逞鮮人」と目された人物に危害が加えられる恐れがあるという噂を聞いて一時、知人宅で身を潜めていたおり、15日の解放を迎えます。解放後は建国準備委員会の慶南支部文化部の責任者として活動します。
1947年、釜山中学校の教師として赴任。その後、釜山大学助教授となった50年に朝鮮戦争が勃発。「保導連盟事件」(共産主義からの転向者やその家族を啓蒙、指導するために組織された「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯などが大量虐殺された事件)に巻き込まれ命の危機に直面しますが、南海公立普通学校時代の教え子や妻の兄弟によって助けられました。このときの経験をもとに書いた小説が『모래톱 이야기(砂原物語)』や『슬픈 해후(悲しき邂逅)』などです。
1960年の4・19革命後に民主化運動をしたという理由で、翌年の5・16軍事クーデター直後に釜山大学から解職されます。復職したのは65年でした。その翌年に先述の『모래톱 이야기』を発表したのを機に文壇に公式に復帰し、『수라도(修羅道)』『뒷기미 나루(ティッキミ渡し場)』『산거족(山居族)』など、洛東江流域の農民の貧しい生活を描いた作品を数多く発表します。71年にはハンセン病患者収容所を舞台とした表題作を含む小説集『인간단지(人間団地)』を刊行し、高く評価されました。76年に大韓民国文化勲章を受賞しています。
日本統治時代は国の独立のために尽力し、解放後は反独裁民主化に生きた金廷漢は1996年にこの世を去ります。子ども向け年表には「金廷漢先生のことを思うと“人間らしく生きてゆけ! たとえ苦しくとも不義に妥協したり屈服したりしてはならない。それは人のゆく道ではない”という『山居族』の主人公の言葉が頭に浮かびます」と書いてありました。植民地支配に抗拒して筆を折り30年ものあいだ創作活動をしなかった強固な意志や抵抗精神、不条理を黙認しない彼の姿勢が凝縮された言葉のようです。展示室には彼の直筆原稿や単語カード、日記、愛用品、蔵書などが多数展示されています。歴史長編『삼별초(三別抄)』執筆のために作成したという高麗史の詳細な年表や、手描きの絵を添えた自作の植物図鑑などからは几帳面な性格がうかがえます。(文・写真/牧野美加)

 

 

 

 

 

 

 

 

楽山文学館
釜山市金井区八松路60-6
051-515-1655
利用時間:10~17時
休館日:月曜日、祝日
入館料:1,000ウォン
ホームページ http://www.yosan.co.kr