韓国出版レポート(19-6)紹介——最近の韓国・朝鮮・在日関連図書

紹介——最近の韓国・朝鮮・在日関連図書

                                     舘野 晳(日本出版学会会員)

 このタイトルは『出版ニュース』誌へ寄稿した際に、使用していたものである。4月からその仕事を本欄に移したので、引き続きこのジャンルの新刊書の紹介を続けていきたい。
 2019年上半期の人文系図書は、盛況だった「韓国文学」に匹敵するほど多彩な作品が刊行された。そのうち、特に李建志『李氏朝鮮最後の王——李垠』(1、2巻、作品社)の刊行を記録しておきたい。李垠とは朝鮮王朝最後の皇太子で、日本の皇族・梨本宮方子と政略結婚したことで知られる。本書はその李垠の誕生から結婚、「準皇族」扱いされた植民地時代の暮らし、そして日本支配からの解放、祖国追放、帰国、死去までの波乱に満ちた73歳の生涯を、激動の時代背景とともに綴ったものだ。
 既刊は第1巻「大韓帝国1897-1907」と第2巻「大日本帝国(明治期)1907-1912」であるが、今後は第3巻「大日本帝国(大正期)」、第4巻「“大東亜戦争”・昭和期」と、全4巻が予定されており、完結すれば四六判の二段組みで、合計1600ページを超える大作になるという。
 作者の李建志(関西学院大学教授)は比較文学の研究者で、『朝鮮近代文学とナショナリズム』(作品社)、『日韓ナショナリズムの解体——「複数のアィデンティティ」を生きる思想』(筑摩書房)などの研究書がある。本書のような歴史上の人物を主人公にした人物ノンフィクションの執筆は初めてのようだが、『松田優作と七人の作家たちー「探偵物語」のミステリ』(弦書房)というエンタメ系の著作もあるから、長尺の歴史物語であっても、読者の興味を惹きつける手腕には長けていることは保証してもいい。
 先年、「韓国併合百年」を迎えたが、我々は近現代の日韓交流史の学習を、ついなおざりにしてしまった。そうした欠落部分を埋め合わせるためにも、本書のように読みやすく情報量の豊富な書物の上梓を歓迎したい。本書を読むことで、現在の日韓関係の「隘路」の基底にあるものを知ることもできるだろうし、それは今後の両国関係のあり方を考えるためにも、貴重なヒントを与えてくれるはずである。

 作品社からは、このほかに柳夢寅『続於于野譚』(梅山秀幸/訳)も出ている。これまでにも同じ梅山秀幸訳で、『於于野譚』『青邱野譚』『太平閑話・滑稽伝』などの説話・伝承・民話・民間史話などが刊行されているので、本書はこのシリーズ7冊目にあたる。したたかで逞しく、ユーモアにあふれる朝鮮民族の真髄を知るのに、これほど適切な本はない。早速、公共図書館、高校・大学図書館などの常備図書にすべきだろう。

 同じ系統で、イ・ギュテ(李圭泰)『韓国人のこころとくらしー「チンダルレの花」と「アリラン」』(矢島暁子/訳、彩流社)もある。思い起こせば日本でも、李御寧、洪思重、そして李圭泰らによる韓国人の「心・情緒・美意識・意識構造・恨の文化」などに関する書籍が競って刊行された時期があった。
 その後、こうしたジャンルの本はあまり見かけなくなった。それなのにいまこの時期になぜ刊行されたのだろう。その疑問は本書の原書タイトルが『高校生のための韓国人の意識構造』であるのを知って氷解した。
 70、80年代には、前掲した筆者らが「韓国人とは何か」を民俗学的視角からあれこれと論じ、それは我々の韓国認識を大きく広げてくれた。そしていま韓国においても、若い世代を中心に韓国人のアイデンティティ、すなわち、固有の意識構造、美意識、言葉などが薄れてしまったのだ。再発見を心がけても、自信が揺らいでいる。社会経済構造の大きな変化、とりわけ世代間の意識格差がもたらしたのだろう。
 本書は先の論者が我々に説明してくれたように、「韓国人とは何か」を若い世代向けに改めて説いた作品なのだ。豊富な具体事例を挙げながらの懇切な語り口なので、我々にとっても理解しやすい。
 いまや韓国でも、昔を知らない世代が人口の過半数を占めるようになった。そうした背景があるだけに、若い世代に韓国人のルーツを理解してもらうために、かつて人気を集めた「韓国人の意識構造」シリーズから選別して本書が編まれたのだという。日本の読者にとっても、隣の韓国人を知るための基本図書になるだろう。

 次は、下川正晴『日本統治下の朝鮮シネマ群像』(弦書房)で、「戦争と近代の同時代史」とサブタイトルが付いている。前作『忘却の引揚げ史』(弦書房)が、読者に衝撃を与えたことはまだ記憶に新しい。著者は毎日新聞のソウル特派員を経験したジャーナリストで、定年退職後も相変わらず軽いフットワークで、これまで見過されてきた日本・朝鮮のテーマに執着している。
 本書の場合は、韓国映像資料院が植民地時代の朝鮮で製作された国策映画を入手、公開したのを契機に企画・執筆された。
 韓国と北朝鮮の映画史については、これまで日本語訳された書籍が数冊に及んでいる。最新のものでは、鄭琮樺『韓国映画の100年史』(野崎充彦/訳 加藤知恵/訳 明石書店)があるが、この本の著者からも直接サポートを受けて執筆したようだ。また、同じく植民地時代の国策映画を、文化人類学者の崔吉城氏が論じた『映像から見た植民地朝鮮』(22世紀アート)も、今年5月にキンドル版で発売されている。
 植民地時代における朝鮮での国策映画の解明は、これまで資料不足で内容がイマイチだったが、本書が国策映画のフィルム(一次資料)を用いて分析・検討の対象としたのは画期的なことだった。同時代の朝鮮・日本映画の動きもカバーされている。本書に登場する監督今井正、女優原節子、そして「解放」前後の朝鮮シネマの部分などは、読む者の興味を募らせるのに十分である。それぞれスリリングで未知の境地に突き進む楽しみがある。本書を手がかりに解明の残された課題への挑戦がさらに進むことを期待する。

 さて、文学研究分野でも大きな収穫があった。金正勲『戦争と文学——韓国から考える』(かんよう出版)と、原佑介『禁じられた郷愁——小林勝の戦後文学と朝鮮』(新幹社)の2冊である。
 前書『戦争と文学』は、比較文学研究者の金正勲(全南科学大学副教授)が、新聞、研究誌などに発表した7本の文学評論を一冊にまとめたもので、ここで取り上げているのは、次の五名の作家の作品七篇である。夏目漱石(「明暗」「点頭録」)、松田解子(「花岡事件おぼえがき」「地底の人々」)、新美南吉(「アブジのくに」)、文炳蘭(「詩」)、韓水山(「軍艦島」)。
 とりわけ松田解子と新美南吉の作品に登場する朝鮮人像が蒙を啓いてくれた。これまで花岡事件に関しては、「中国人労働者の強制連行と苛酷な労働、それに耐えかねた労働者の蜂起」として語られてきたが、そこに朝鮮人労働者も介在していたとは、寡聞にして知らなかった。ここで著者は松田解子のルポ「花岡事件おぼえがき」と作品「地底の人々」を手がかりに論究を進めている。
 また、新美南吉については、「国境を超えたヒューマニズム」を「社会的視座から読み直す」作業がなされた。これらの論文は我々の気づかない論点を知らせてくれる点でも、極めて新鮮で刺激的なものだ。
 次の『禁じられた郷愁——小林勝の戦後文学と朝鮮』は、原佑介(立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員)による小林勝研究の集大成である。小林勝は日本人の朝鮮観・朝鮮認識を確かめる上で、欠かせない人物であるが、彼がこれまで本格的に論じられたことはなかった。試みに本書巻末の「参考文献」をみると、彼に触れた研究論文やエッセイはかなりの数に達しているが、小林の名を冠した研究書は1冊もない。さらに70年代末期、古書店の店頭では「小林勝作品集」(全4巻、白川書院)がゾッキ本扱いされていた。つまりほとんど人気がなかったということだ。
 けれども、文学評論などで小林勝に言及する者が大勢いる事実は、日本と朝鮮の関係を考えようとするとき、彼の発言や書き残した数々の作品を無視することはできないことを示している。
 過去の植民地で生まれ育った人が、彼の地を軽々しく「懐かしさ」の対象と見なすことを彼は嫌悪した。そもそも植民地では「故郷」といえるような対等で気楽な関係は成立していなかったと主張するのだ。
 いまでは彼の作品を読みたくても、その機会には恵まれていない。文庫本にさえも収録されていないのだ。シリーズ「戦争と文学」(集英社)などで読むしかない。
 そうした朝鮮・韓国との関係において、見逃せない大切な作家、小林勝を本格的に論じた本書が刊行されたことを喜んでいる。(2019.6.13)