
私にとって初めての海外だった。大学4年の最後、卒業記念に海外旅行に行こうかということも考えたが、コロナ全盛期だったために断念。行く機会を失っていた。よもや3年後にこのような機会が訪れようとは。
「K-BOOKフェア2023飾り付けコンクール」の優秀賞に選ばれたご褒美が今回の「韓国の本を巡る旅」だった。フェア・コンクールには参加したけれども、正直なところあまり韓国に詳しくない私…。世の中は第3次韓国ブームなんて現象が起こっており、日本国内でも日常でハングルを目にすることは結構多い。例によって私の友人も韓国好きで、東京旅行中に行った新大久保でとてもはしゃいでいたのを覚えている。
韓国行きが決まってから、旅行系ユーチューバ―の動画を参考に韓国巡りのシュミレーションをしたり、韓国語旅行ハンドブックを買って眺めたりした。今までさほど関心を持っていなかったくせに、行くと決まるといなや急に興味が湧いてきだして、わくわくした。
いざ、その日が来た。初海外、初韓国!前日はそわそわしてなかなか寝付けなかった。 (昔から遠足や運動会の前日など興奮して眠れない性質の私)不調の中での飛行機は最悪だった。そもそも海外渡航だけでなく飛行機に乗るのも初めてなのだ。最初は子どもさながら、「飛行機だ!大きい!かっこいい!」と大興奮だったのだが、離陸から10分後には吐き気を催す始末。ぐったりとしたまま機内食もキャンセルし、なるべく動かないように努める。目をつむったままやり過ごし、眠ることはできなかったがいつの間にやら金浦空港に到着。着陸時の揺れにまた吐き気を催すも、なんとか飲み込んだ。
ついに上陸、韓国・ソウル!東京は曇天だったが、ソウルの空は晴れていた。
ソウルはその日の最低気温氷点下9度、ぴりりと顔が痺れるような寒さだった。
早速バスに乗ってソウル市街へ。
バスの中では、ガイドの張順姫さんが韓国の歴史について話してくれた。5000ウォンと50000ウォンの肖像の人物は親子なんだという話や、今日(3/1)が「三一節」という独立運動の起点となった日だということを教えてくれた。かつて日本が当時の朝鮮を植民地支配していたことは知っている。未だそれが禍根を残していることも。それは負の歴史で、絶対にあってはならないことだった。日本人として口惜しい気持ちはありつつも、正直なところその時代を知らない自分に実感はなく、何を思えばいいか分からなかった。
そうして約20分ほどで最初の目的地「チェ・イナ本屋」に到着。店の前で、現地コーディネーター役を務めてくれた金承福さん(クオン代表、K-BOOK振興会専務理事)が手を振って出迎えてくれた。
「チェ・イナ本屋(inabooks 최인아책방)」は江南地区というオフィス街にある、洒落た外観のビルの3階にある。中に入ると開放的なハーフ吹き抜け構造で、天井までの本棚にまず圧倒された。2階はカフェスペースになっており、読書に没頭するお客の様子が垣間見えた。モダンで若い人に人気のありそうなお洒落な内装だと思った。
⇒ https://www.instagram.com/inabooks/
まずはこの本屋の代表の1人であるチェ・イナ氏よりお話を聴く場が設けられた。彼女は元サムスングループ広告代理店・第一企画副社長という経歴を持つ。落ち着いていて知的で、上品な方だと思った。
1時間ほど、「本屋の意義」についてのプレゼンが行われた。その中で、「考える森」という言葉が強く印象に残った。チェ・イナ氏は常に問いかけを続けているという。デジタル時代のリアル書店の役割とは何であるのか、ということについて。それについては私も考えたことがあった。しかし未だこれといった答えは出ていない。チェ・イナ氏が出した大きな答えの一つが「考える森」だという。
「知っていること」が「力」だった時代がある。それは知識や教養だが、現在は「想像力」「創造力」が不可欠だとチェ・イナ氏は言った。単に知識や教養を得るためだけではない、「考える」ための「森」。
チェ・イナ本屋は年間200を超えるイベントを行う。「イベントを行うということは、人と人とが会うだけでなく、そこではエネルギーの交換が行われる。その場所を提供することに、「単に本を置いてある」だけではない本屋の意義があるのではないか。」凡そこのようなことも彼女は言っていた。
私自身、本を読むことについて、想像力を養う一つの手段だと考えている。以前、『なぜ本を踏んではいけないのか』(草思社、2019年)という本を読んだことがある。なぜ、人は本を踏むことに抵抗があるのか、という問いかけから始まる本書。要約すると、「本は著者の人格そのもの」だから、それを多くの人は無意識でも理解しているからというわけである。なるほど、と思った。確かに、本を踏むことには抵抗がある。ただ、なんとなくそうというだけで深くは考えたことがなかった。
人種・国籍・性別、そして生まれ育った環境・経験によってその人のアイデンティティは形成される。すごく大袈裟かと思われるかもしれないが、本を読むことは最終的には世界平和にも繋がることだと私は考えている。本は娯楽として楽しむのもそうだが、「こういう考え方もあるのか」「こういう人もいるのか」と自分の知らない世界を知る扉でもあるのだ。少なくとも、私はそういう見方をしている。例えばフィクション作品でも、そこには著者の思いが反映されているし、さらにその背景には生い立ち、経験がある。昔、国語の授業で「筆者の考えを答えよ」という問題がよくあったと思うが、あながち無駄ではなかったのかなと、最近考える。
人と人とはしばしばぶつかることがある。その解決方法として有効なのが話し合いだ。それでも拗れてしまえば取っ組み合いの喧嘩になったり、最悪絶交ということにもなる。単純に原理だけを言えば、戦争も同じことだ。しかしこちらはより複雑だ。大昔からの国や民族同士の因縁や、政治的・宗教的な確執、様々である。
相手がどういった気持ちでその言動をしているのか、双方に考えることが重要ではないかと考える。戦争は憎しみしか生まない。血で持って制圧することはいかなる理由があろうとも、正義ではない。そこで流れた血から、新たな憎しみが生まれ禍根を残すからである。
例えば愛情たっぷり順風満帆に育てられた子どもと、親に愛されずに育児放棄されて育った子ども。最初からお互いの気持ちを分かり合うことは出来ない。話すことで分かり合うことが出来るかもしれない。
例え周りにそのような人がいなくとも、本を読むことで知ることが出来る。世の中にはこのような人がいて、自分にはないこういう考えを持っていると。昨日喧嘩したあの子があのようなことを言ったのは、こう考えたからではないか?と、思考を巡らせることが出来る。
長くなったが、想像力を養うことはそういった意味で重要なんだと思う。「本」とは著者の人格そのものであるから、それを読むことで自分ではない人物の経験を追体験出来る、ひいては想像力を養うということになる。人は常に考えていかなければならない。思考を停止してはいけない。チェ・イナ氏の「考える森」というコンセプトはとても有意義だと感じた。
さて、すごく長くなってしまったが、お次はピョルマダン図書館(별마당도서관)。ショッピングモール内にある、巨大本棚が目玉の図書館。天井まで聳える本棚に圧倒された。あとはすごい人、人、人。やはり祝日というだけあって、モールも図書館もすごい客入りだった。この図書館は貸出は行っておらず、閲覧のみの利用ということ。図書館入口付近では子供が傍らに本を積み上げ、床に座り込み読書に没頭していた。中では読書をする人よりも、巨大本棚との写真撮影をしている人の方が目立った。確かにあの巨大本棚はSNS映えしそうだ。あとはそもそも座って本を読めるスペースが少ないと思った。だから、あの子どもは床に座って本を読んでいたんだな…。私ならあれだけの人の中で落ち着いて本を読める気はしないが。子どもの集中力ってすごい。ここでは1時間ほどの自由見学時間が設けられた。色々と興味深い本は沢山あったが、人酔いしてしまって、あまり楽しむことが出来なかった。
⇒ https://www.instagram.com/starfield.library/
そして最後の書店へ。「本屋オヌル(책방오늘,)」だ。事前に、韓国の有名小説家の方が関係している書店だとは聞いていた。ここでその小説家の方が判明。ハン・ガン先生だそうだ。お恥ずかしいことに、アジア人初ブッカー賞受賞者の大先生であるのに読んだことがなかった。そもそもハン・ガン先生を知ったのも旅の前日だったのだ。
⇒ https://www.instagram.com/onulbooks_in_seochon
というのも、前日私は東京の書店視察という名目の元、本屋を物色して回っていた。荻窪の「本屋Title」で見つけた『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス、2022年)。明日韓国に行く身、少しは勉強をしておいた方がいいだろうということで購入。著者は翻訳家の斎藤真理子氏。そう、この本の中でハン・ガン先生の名を初めて知ったのである。
話は旅に戻って、まずはその「本屋オヌル」に行き、希望者のみハン・ガン先生と直接お話する場を設けてくれるということに。有名先生とお話が出来る!?こんなに光栄な滅多な機会はないぞ!と私。(読んでないくせに)ミーハー心が疼いてしまったのだった。希望者は私ともう1方。今回、この旅で一緒になった山口県にあるお店「ヒマール」の辻川純子さん。穏やかで柔らかい雰囲気の方だと思った。移動中に名刺交換をして、少し話をした。何でも純子さんはハン・ガン先生の大ファンだという。余計に無知な自分が恥ずかしくなってくる…。
本屋はレンガ造りのオシャレな外観。一般のお客さん数名と、ツアー参加者9名が入ったらぎゅうぎゅうになるくらいの小さなお店だった。
まず入って正面には覆面本が展開されていた。本の一説のみ書かれたカードが貼られており、本の表紙は白い包装紙で覆われている。ガイドさんにカードを翻訳してもらう。「忙しく過ぎる日々の中で一度立ち止まり休む。ただ回復のためにゆっくり行動する、あなたのための本」という一節があった。同じ会社で働く疲れた友人に、これをプレゼントしようと思った。他にも自分用の本と、店オリジナルのマスキングテープとポストカードを購入。自分の店でやるK-BOOKフェアの飾り付けに使おう。
いつの間にやら純子さんが金さんを介してどなたか女性の方とお話をしている。黒のロングコートにグレーのショール、落ち着いた雰囲気の細身の女性。なんとこのお方こそ、ハン・ガン先生だった。
そして本屋の向かいにあるカフェでお話をしようということに。なんだか緊張してきた…。ハン・ガン先生と純子さん、金さんと私がそれぞれ隣同士でテーブルに向かい合わせになるように座った。小難しい話ではなく、他愛もない会話をした。1度イベントで日本に招かれたことがあるが畳の部屋で正座が辛かったというお話や、斎藤真理子氏は翻訳に対してすごくストイックだとか色々な話を聞かせてもらった。有名作家だというのに控えめで、それでいて気さくでチャーミングな方だった。ぜひまた日本に、今度は私の店にお招きしたいと話した。困ったように笑っていたが、金さんが「もっと積極的になるべきだ」とハン・ガン先生に熱弁してくれた。
純子さんがハン・ガン先生にサインを頂くことに。私はさっきお店で先生の本を買っていない。しまった!「すみません、今から買ってきます」という私。(つくづく失礼な奴…)向かいの本屋に戻り、レジのスタッフの若い女性に声をかける。「ハン・ガン先生の本がほしいんです」と言うと案内してくれた。「おすすめの本を教えてください」というと、心底困ったように「全部良いんですけど…」と頭を搔くスタッフの女性。すごくハン・ガン先生の本が好きなんだなというのが伝わってきた。あと、すごく日本が上手。すごい。まずは初心者向けということで「흰」を購入。「白」という意味で、日本でも『全ての、白いものたちの』(河出書房新社、2023年)というタイトルで翻訳書が出版されている。「カムサハムニダー!」と下手くそな韓国語でお礼を言ってすぐにまたカフェに戻る。サインを書いてもらう。しっかり為書きまでしてくれて感激だ。
最後に、お店の前で記念撮影をぱしゃり。結局2時間近くお話をした。外はやや薄暗くなっていた。お忙しいだろうに、有難い。素敵な思い出になった。