『月の向こうに走る馬(달 너머로 달리는 말 )』キム・フン(金薫)

新刊が出れば書店に馳せ参じたくなる作家がいることは、本読み人生の大きな喜びだ。しかも、この本を執筆中だった金薫作家と、私は会っている。『黒山』の邦訳作業を終えた昨冬だった。机の上の分厚い手書き原稿を指して、「次の小説はもうすぐ書き終わる」と作家は言った。「歴史小説でしょうか」と尋ねた私は、金薫の歴史小説の大ファンだ。「いつの時代かわからない話だ」という答えだった。

新刊本の表紙の裏側にある略歴は、たったの2行。「1948年ソウル出身、小説『空地にて』、散文『鉛筆で書く』他、多数」。裏表紙の内側には、「文章は/戦闘のようで、/表現は/譲歩できないー金薫」とある。この作品に籠めた作家の並々ならぬ気迫が、胸にズンと響いてくる。
簡潔で、深い。鋭利な刃物を思わせる金薫の文体に、魅了される読者は多い。李舜臣将軍を描いた『孤将』(蓮池薫訳、新潮社)、清に攻め入られた朝鮮王朝中枢の葛藤を描いた『南漢山城』など、それぞれ100万部を超えるベストセラーとなり、数々の文学賞を受賞している。
韓国の書店が集計した金薫の読者層は、40~50代の男性が多いと聞く。それについて金薫は、「金儲けや酒に明け暮れている忙しい世代に本を読ませているのなら、それは幸いだ」と笑った。
「言葉や文字で正義を争うという目標は持たない」ことを信条とする。新聞記者の経歴を持つが、社会に何かを訴えるための作品は書かない。あくまでも、切実な生の営みを描写するために、常に言葉を研ぎ澄ませている人だ。

新作の『月の向こうに走る馬』は、北方の遊牧民の国である草(チョ)と、定住する民の国の旦(タン)の物語だ。

p17 草の国は文字を遠ざけた。鹿の角の形を真似た文字があったが、それは家畜や人の数を記録する程度だった。王たちは文字を教えたり習うことを禁じた。歌の言葉や話は記録せず、必ず覚えるよう命令した。牧場の羊飼いを選ぶときにも、家畜の動作を真似たり、さまざまな植物の形や味を答える試験を行った。

舞台は文字という伝達手段の確立していない古代の、どの地域の話かは特定していない。それは逆に、どの国の古(いにしえ)にもする話に思えてくる。
「書くことは肉体労働だ」と言う金薫。体から絞り出すように文字を書く作家が、文字を持たない人間の感情を文字で著そうと、格闘した。そこには、なにか暗示があるようにも思える。
狼の鳴き声を真似し、裸馬を乗りこなす草の子どもたち。草の軍隊では、黒風という野犬の群れを飼い慣らし、戦に連れ出す。犬は敵と味方の匂いを区別し、牙をむいて敵に喰らいつく。草の王は、旦の畑や城を尾籠なものと忌み嫌う。草の人々は死に無頓着で墓を作らず、死期を悟った老人は、小舟で川を下って行き、戻らない。
一方の旦は農業を営み、墓所を設けて死者を弔う。王の墓には家来たちが生き埋めにされる。敵の攻撃を恐れて巨大な城壁を築いたとき、労働者がそこで死ぬと、体をつぶして漆喰と混ぜ、石の間に埋め込んだ。死者の魂が城壁を守ると信じたのだ。そして旦は、文字を重んじた。
草と旦の風習や考えの違いは、憎しみを生む。人々は敵愾心を燃やし、血で血を洗う物語が始まる。

金薫は多くの登場人物をそれぞれ魅力的に、そして突き放すように描写するのが得意だが、この小説では人間だけでなく、馬も「人格」を持って登場する。
草の辺地に野生する新月馬という種は人に飼い慣らされ、旦に攻め入る戦に駆り出される。旦にも飛血馬という種が自生している。二種の馬は、戦場で初めて出会う。
草の王子を乗せて出陣した牝の新月馬の吐霞(トハ)と、旦の将軍を乗せた牡の飛血馬、夜白(ヤベク)。血筋は異なれど、人を乗せないときの馬同士は争うことはない。

p156 夜白は人の乗っていない馬に対して、なんの敵愾心も感じなかった。背に人を乗せて戦場でぶつかるときも、夜白は人の拍車を受けくつわを噛んでいたが、人の間の敵愾心に介入はできなかった。

P166 その日、奈河の浮橋の前で交わりを終えて戻るとき、吐霞は夜白の横顔のしわを見た。太い血管が浮き出ていた。夜白は空に向かって頭を上げて大声でいなないた。夜白のいななきは、一筋となって天を突いた。夜白は交わりでも解消できない体内の力をいななくことで吐き出し、体を軽くした。

P240 吐霞は夜白が旦の将軍を乗せた馬だということを、夢で知った。馬に乗った人同士は互いに殺し合う敵だった。人を乗せ、人が操る方向に走る時の充足感が、人の間の敵愾心に変わる理由が、吐霞にはわからなかった。それは馬にはわからないことだった。

夜白の子を宿した吐霞。しかし人間は、馬の種が混ざることを嫌い、吐霞に毒を飲ませて胎児を流す。人の残忍さが際立つ描写に、身震いする思いだ。いったい人はなんのために戦い、なにを得るのか。草と旦は長く戦いを続け、やがてどちらも滅びた。

短いあとがきの中に、金薫の思いがある。ソウルの郊外の一山(イルサン)新都市に住んで20年になる作家は、ソウルまで地下鉄に乗るたびに、車窓の風景がどんどん変わっていくことに驚くという。
「この世の中を消してしまいたい衝動が、私の心の深い所に棲息していたようで、この本はそのもどかしさの所産だ」という作家の言葉がある。
山や森をひっくり返して「開発」し「発展」させてしまう人間の欲望の不毛さに苛立ちながら、原稿用紙に向かって鉛筆を握りしめた作家がいた。読者を打ちのめす文体を、私は密かに「金薫節」と呼び、愛してやまない。

2020年9月 戸田郁子


戸田郁子(とだ・いくこ)

韓国在住の作家・翻訳家。仁川の旧日本租界地に建てられた日本式の木造町屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。
朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」コラムの連載は10年目。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』(アルク)など多数がある。