【集英社賞】『となりのヨンヒさん』無重力の世界で会いましょう/村松 桂さん

【集英社賞】

村松 桂さん

『となりのヨンヒさん』
無重力の世界で会いましょう
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遥か遠い宇宙の果てで明滅する、とっくの昔に死んだ星を見つめる。手の届かないどうしようもなさに途方に暮れながら、自分の手を宝物のようにそっと撫でてみる。読後しばらくは、寂しさと愛おしさの間を静かに漂うような一冊だった。

本書を構成する十五篇の短篇の中には、様々な姿形の生命体が登場する。ガマガエルのような見た目で、地球人から〈彼ら〉〈あんなの〉と呼ばれ忌避される隣人との交流を描く表題作の「となりのヨンヒさん」では、美術講師のスジョンが世間の先入観を意に介さず、適度な無関心さで〈彼ら〉、つまりヨンヒさんを受け入れていく。地球では正確に表現できないというヨンヒさんの言語でやりとりする場面では、言語というツールを全く違う角度から捉えたユニークさが際立ち、繊細でロマンチックだ。

そして今まさに、世界中が未知のウイルスに苦しむ現実の中で読む「最初ではないことを」の緊迫感は真に迫る。外交官を夢見て中国へ旅立つナミと、彼女への恋慕に蓋をして親友としてそばにいるヒョナの間には、お互いが誰より親しい存在でありながら埋められない溝がある。しかしナミが治療法の確立がされていない伝染病にかかったとヒョナに連絡が入り、事態が急転する。
ナミの名前は漢字で「男嬉」と書く。由来は「ナミの両親は三十代前半になってようやく生まれた最初の子供が女の子であることに落胆し、男の子を望む気持ちをこめて、娘の名に〈男〉の字を入れた」からだ。ナミは名前を変えようとしたが、手続きが煩雑で思うように進まない、とヒョナに愚痴をこぼしていた。

これをフィクションの中だけの話だと思うだろうか。日常生活の中で何気なく、だがまるで突然殴られるかのように「女性は必要ない」と告げられ、持ち得るはずのあらゆる選択肢が排除されてしまう。私達の世界でも見覚えがある光景だ。このような社会の有り様は、重力のように抗い難い強さで、物語の中でも外でも彼女達を無力感で押し潰そうとする。

それでも、諦めずに支え合おうと差し出される手に宿る力を信じたい、という祈りのような作品の数々は、作者チョン・ソヨンが「誰かを慰めるようなものを書きたかった」と話す通り、文字のひとつひとつから慰めと労いが感じられる。いつかの私達が傷付き手放してしまったものたちは消えることなく、ひとつずつ丁寧に紡ぎ出されて、人生の営みの中に確かに織り込まれているのだ、と。