●本書の概要
2014年4月16日に発生したセウォル号沈没事故の生存者の一人で、大きく傾いた船内で乗客の救助にあたった貨物車運転手とその家族の証言をもとにしたグラフィックノベル。事故や災害現場で救助活動をした市民の事例などを発掘するコンテンツ公募事業「みんなの左手」(4・16財団主催)大賞受賞作。
1部は貨物車運転手ミニョンの視線で事故当時を描く。大きな衝撃に続いて船が傾き、すぐに甲板に出たミニョンは、消防ホースで乗客十数人を救出し、その後、自身も船から救助された。だが「危険なのでその場から動くな」という案内放送のせいで乗客が逃げ遅れたことや、船長と船員はいち早く救助されたこと、船内に数百人が取り残されていると訴えても報じなかったメディア、まともに救助、捜索活動をしようとしない政府――それらに対する激しい怒りで人が変わったようになる。救出しきれなかった乗客の姿が頭から離れず、強い自責の念にも苦しむ。
2部は高2の次女アンナの視線で描かれる。救助され済州島に戻ってきた父と再会しほっとしたのも束の間、優しかった父は怒りに満ち、生き残ったことへの罪悪感や幻覚に苦しみ、物置部屋に閉じこもるようになる。ついには手首を切って病院に運ばれる。アンナは、修学旅行の途中で事故に遭った高校生と同い年ということもあり、犠牲者を追悼するフラッシュモブを計画、実行する。父のように人を救いたいという思いから、大学は姉と同じく救急救命学科に進む。
3部は長女ナヨンと妻の証言をもとに描かれる。救急救命学科を卒業し救急隊を目指していたナヨンは、手首を切って倒れている父を発見した時、衝撃で体が動かなかった。その後、消防本部に就職したが、自傷行為の患者から父を連想し、食事が喉を通らなくなり退職する。ミニョンはその後も自傷行為を繰り返した。ある日一人でソウルに向かい、大統領官邸前で事故の真相究明と生存者への補償を訴えて身体を傷つけた。病院で手術を受けている間、ミニョンはセウォル号を海の中から持ち上げる夢を見る。自分なりにけりをつけられたのか、それ以降は穏やかさを取り戻していく。だがドライブ先で妻と娘の写真を撮っている時、船内で助けを求めていた女子高生の姿がフラッシュバックし、悪夢に引き戻されそうになる。妻と娘が必死で抱きかかえる最後の場面は、今なお続く生存者の苦しみを感じさせる。
●目次
プロローグ
1部
2部
3部
●日本でのアピールポイント
日本でもこの事故に関する小説や映画が紹介されているが、本作のように生存者の声を取り上げた例はあまりないだろう。キム・ドンスさん(ミニョン)は当時、多くの人命を救助した「義人」として注目を浴びたが、その後どのような苦しみを抱えて過ごしていたのかはあまり知られていなかったように思う。この事故に限らず、災害の生存者などに思いを寄せるきっかけとなる作品ではないだろうか。著者は「この本が真相究明を願う市民の武器となり、遺族や生存者の力となる連帯の絆になってほしい」と述べる。
作成:牧野美加