●本書の概略
不可解な世の中で、説明しようのない不安に苦しむ現代人を描き続けてきたカン・ヨンスクの、6冊目の短編集。
「短編小説はプライベートの記録をもとに書くことが多いため、ある意味、日記ともいえる。」
そう話す作者の言葉どおり、日常をもとに綴られた中年男女の9つの物語。
先を予想しながら読み進め、ついに大詰めを迎えるその瞬間、突然それまでとは全く異なる場面へと切り替わる。若干戸惑いながらもさらに読み進めていくと、徐々に見えてくる。彼ら・彼女らの「置いてきたもの」が。
○汚れた水タンク
初任給を手にしてから30年間、ドイツ語を学び続けてきたスオク。
その間に世の中は大きく変わったが、スオクのドイツ語は今も初級のまま。
そしていまだ、ドイツへも行けないでいる。
ある日、10年勤めている会社の代表から突然誘われ一緒に昼食へ出かけたが、そこで告げられたのは無情な退職勧奨だった。
50歳という年齢のせいだろうか。ショックで手が震えながらも受け入れるしかないスオク。
ほどなくして送別会が開かれた。今後の計画を聞かれたスオクは、小さな声でドイツに行くつもりだと答える。
会社を辞めた自分に行けない所なんてない。「極地研究所」行きのバスを見かけ、衝動的に乗り込んだ。そのときちょうど母親から着信があり、出ないでいるとメッセージが届く。
中年の娘を子ども扱いしたその内容に、ふと笑いが込み上げる。
バスで居眠りしていたスオクが目を覚ますと、終点のゴミ処分場に着いていた。
戸惑いつつも、鼻を摘まみながらU字型を描くように積まれたゴミの山を登っていく。
頂上に辿りつくとひざまずき、そのまま静かに沈んでいく太陽を眺めるスオク。遠くには低く濁った町が見える。電話の着信音が聞こえる気がするが、ただの耳鳴りだろうか。しかしそれも徐々に遠くなっていくのだった。
●目次
大人の味
置いてきたもの
捨てられた都市で
後岩以後
駱山
スモッグの向こうへ
汚れた水タンク
曲阜以後
ラフリン
解説
あとがき
●日本でのアピールポイント
韓国では、「自身の経験した世界が純金のように表現された小説」「他の世代には書けない厚みのある物語」と高く評価され、第18回李孝石文学賞を受賞した「大人の味」をはじめとする9編が収録されている。
各物語は、単なる「喪失」や「心残り」にとどまらず、災難や人生の転機を迎えた後、人々が何を抱え、何を置いてきたのかを問いかける。
コロナ禍という未曽有の災難を経験した今だからこそ、より深く心に響く1冊。
(作成:木村愛)

