●本書の概略
デビュー10年。四つの文学賞を受賞し、フランス語文学の翻訳も手がける作家ペク・スリンの初のエッセイだ。新聞の連載コラムに執筆した「本」についての文章を、五つの章に分けて加筆修正した46の話からなる。
章ごとに、「心の内面を深く見続けること」「小説の可能性と小説家としての覚悟」「家族や愛犬など大切な存在への思いと記憶が繋ぐもの」「様々な愛の形と喪失の痛み」「自然と人、人と人との境界や連帯」についての話などが、一貫して易しい言葉で語られる。
欧米や日本の作家を中心に厳選した作品を、独自の深く温かい視線で読み解きながら、時には、自虐を含んだユーモアたっぷりの口調できわめて個人的な話も披露する。さらに各話に一つずつ、20年来手作りしながら親しんできたというパンや菓子が登場して、作家の日常から始まる話を本の世界へと滑らかに導いていく。また、合間合間に挿入されたキム・ヘリムのイラストが作品全体にやわらかな彩りを添えている。
ペク・スリンの新たな魅力に出会い、読書の愉しさを再認識する一冊だ。
●目次
作家のことば
あなたへ薦めたい温度
一つずつ焼き上げた文章
温もりが残るオーブンのそばに座って
空き家のように寂しいけれどマシュマロみたいに甘い
焼きたてのライ麦パンサンドを持って森へ
●日本でのアピールポイント
小説家が本や食べ物について書いたエッセイは多いが、ペク・スリンはその両者を調和させて独自のやさしい世界を創り出した。「私にとって小説を書くことは、誰かに手渡すための不格好だけど香ばしいパンの生地をこしらえて、それが膨らんでいくのを待つことに似ている」とするように、それらはどちらも欠くことができない、作家そのものであるようだ。
紹介された本をすぐにでも読みたくなるのは、流れるように展開する文章が心にすっと入ってくるからだろう。登場人物の心の綾を深く見つめながら、自らの経験に絡めて穏やかに読み解いていくスタイルが心に落ち着きを与える。さらに絶妙な色彩の挿絵と相まって、まるで作家の家のキッチンで、焼きたてのパンや菓子を味わいながらその話に聴き入っているような気分になる。
一つ一つの話をゆっくり大切に読みたい。読み終わっても本棚にしまわず、いつも手許に置いて読み返したい。―― 韓国の読者が寄せる言葉に心から同意する。
「異常で悲しいことだらけの世の中だけど、あなたの毎日毎日がいくらかやさしくなりますように。」その思いが、日本の人々の心にも届けられることを切に願う。
作成:大窪千登勢