関釜連絡船1,2

原題
관부연락선1、2
出版日
2006年4月20日
発行元
ハンギル社(한길사)
ISBN-13
9788935659227 (第1巻) 9788935659234(第2巻)
頁数
376(第1巻) 381(第2巻)
判型
224×153mm

韓国社会でいまも読み継がれている李炳注の大河小説『智異山』の邦訳版(松田暢裕訳 東方出版株式会社)が昨年夏に刊行され話題となりました。原書の『智異山』は第7巻からなりますが、邦訳版も上下巻で総1,700 頁の大著となっています。李炳注はスケールの大きい作家で、歴史を素材にし、哲学を込めた文学作品を多く残しました。どの作品も読み応えのある大作ですが、その中から『関釜連絡船』を紹介します。

●概略

『関釜連絡船』は1968年4月から1970年3月まで『月刊中央』に連載された李炳注の長編小説である。
1940年のはじめから朝鮮戦争が勃発する1950年までを時間的背景とし、①1940年代を東京で留学生として過ごした柳泰林(ユ・テリム)の時間と、②柳泰林の同郷の友人であり、語り手である「李先生」が日本と朝鮮を交差させつつ、柳泰林の残した手記と、自分自身の回想を混ぜながら物語を展開させていく構成をとっている。

●あらすじ

主人公の柳泰林は関釜連絡船に乗って日本に留学した学生である。彼は日本人同級生のEとともに元周臣(ウォン・ジュシン)という人物のことを調べながら、その過程を「関釜連絡船」という手記に書きとめる。
その後、柳泰林は学徒出陣で中国の戦線におもむく。戦争が終わり解放された韓国にもどってきてからは、友人である李先生の紹介で、左翼が主導権を握っているC高校で教鞭をとる。そこで中立的な立場を維持しながら、学生が勉学だけに専念できるよう力をつくすが、イデオロギーの対立は日に日に激しくなり、数年後ついに朝鮮戦争が勃発する。柳泰林はその混乱のなかで左翼・右翼の両側から攻撃を受け、智異山に本拠地を置くパルチザン部隊に拉致されたあと、そのまま行方不明になってしまう。

●試訳

書状
一通の手紙が故郷から転送されてきた。日本から来たものだった。手紙の差出人はE。度のきつい眼鏡の陰で自虐的に光る目と、薄い唇の周りに染みついた我の強さ、額にいつも一握りほどの髪が垂れかかっている、青白いいかにも日本人らしい小さな顔が、一瞬、鮮明に脳裏を過ぎった。あのEであることは疑うまでもなかった。こうして突如、三十年近い歳月の彼方から過去が舞いこんできたのであった。
Eは私がかつて東京のある私立大学に通っていた時分の同級生である。聞くところによれば彼は今、母校の大学で教鞭をとっているらしい。在学中も卒業した後も、私は彼から手紙を貰ったことなど一度もない。つまり同級生ではあるが、今さら30年近い空白の時間をさかのぼってまで、私に手紙をよこす理由があるほど親しい仲ではなかった。
怪訝に思うよりも先に一種の狼狽を覚えたのはおかしなことだった。私は手紙の封を切った。そこには日本人が得てして使う形式的なあいさつやら、本人の近況を知らせるかんたんな文があり、それからつぎのような頼みが記されていた。
……おそらく君も覚えているだろう。アンドロスというアルゼンチン出身の留学生が同じ組にいたことを。専門部ではなく学部のときだ。その彼が今アルゼンチンで上院議員の役職に就いていながら、そのほかにも栄職を任されているらしい。ぜひぼくと柳泰林君を自国に招待したいから柳君の住所を教えてほしいと手紙をよこしてきた。そこでぼくは柳君の昔の住所に二度ほど手紙を送ってみたのだが、未だ何の返事もない。もし君が彼の居所を知っているなら、連絡してぼくに手紙を書くようにさせるなり、あるいは直接君が柳君の住所をぼくに教えてくれないだろうか……。(『関釜連絡船』 冒頭の部分7~8ページ)

●日本でのアピールポイント

太平洋戦争前夜から朝鮮戦争が勃発するまでが時代背景となっている『関釜連絡船』は、その時代を生きた一知識人が植民地支配とは何なのかを哲学的に考察した自伝的小説であり、20世紀の日韓の歴史を見直すうえで重要な役割をはたす作品だといえる。
主人公は志願兵というかたちをとって学徒出陣する(実際は徴兵だった)。朝鮮人である自分がなぜ日本の軍隊に志願しなければならないのか。主人公は朝鮮の歴史、植民支配、そして戦争について哲学的な考察をすることによって、自分なりのゆるぎない考え方にもとづく結論を出す。それは解放後の混乱(イデオロギーの対立、朝鮮戦争など)のなかでどう生きていくべきかを考えることにもつながるものである。親日・反日という枠を超えた知識人の内面を描く。
昭和教養主義の色濃い影響を受けた朝鮮の留学生をとおして、1940年代当時の日本の文化的風景を垣間みる資料としてもひじょうに興味深い作品。

著者:李炳注(イ・ビョンジュ 이병주)
1921年、韓国慶尚南道河東に生まれる。日本の明治大学文芸科、早稲田大学仏文科に学ぶ。その後、解放された韓国に戻り、故郷の晋州農科大学、海印大学で教鞭をとり、また釜山にて「国際申報」の主筆兼編集局長を務める。
44歳のとき、小説家の道を歩みはじめた李炳注は、1992年に他界するまでの27年間、旺盛な執筆活動を続け、80冊を超える膨大な作品を残す。言論人としての長年の経験を土台として書かれた李炳注の多くの作品は、一時代の優れた「記録者としての小説家」「証言者としての小説家」という評価を受けている。また、東京留学、学徒出陣を経て、南北のイデオロギー対立、朝鮮戦争、韓国単独政府樹立という波乱万丈の現代史を生きぬいた作家の個人的な経験は、歴史とは何かということに深く苦悶し、それを文学作品として昇華させる原動力にもなったといえる。
1964年、中編小説「小説アレクサンドリア」を月刊教養雑誌『世代』に発表した後、『智異山(全7巻)』『関釜連絡船(全2巻)』『山河(全7巻)』『小説南労党』『その年の五月(全6巻)』などの大河長編小説をつぎつぎと連載する。そのほかにも数多くの中・短編を発表し、長編小説『幸福語辞典(全5巻)』はテレビドラマ化されるなど、発表当時、多くの読者を魅了し、熱狂的な支持を受ける。2006年、ハンギル社より「李炳注全集―全30巻」が刊行された。

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  1. […] の『관부연락선1、2(関釜連絡船)』が、橋本智保さんの翻訳で藤原書店より刊行されました。 […]

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