【晶文社賞】物語に没頭する愉しみ/田仲 真記子さん

【晶文社賞】

田仲 真記子さん

物語に没頭する愉しみ

81JgmHP+ZLL 途方もない長篇だ。タイトルにふさわしくどっしり分厚いが、圧倒的なおもしろさでページをめくる手を止めさせない。
中心にあるのは、韓国らしき場所を舞台に、太平洋戦争前から現代にわたる特異な母と娘の人生だ。貧しい生まれの女性クムボクは、事業の才覚と性的魅力にあふれ、チャンスを逃さず求めるものを手に入れてのし上がっていく。その娘春姫(チュニ)は巨大な体躯の啞者(あしゃ)で、耳は聞こえるが言葉を発することができない。二人の運命に大きくかかわる<汁飯屋の老婆>とその娘<一つ目>、さらに鯨や生身の象、ヒメジョオン、煉瓦などの印象的なアイコンが要所に配置されて物語を豊かに彩る。

 小説の半ばまではクムボクの出世譚が中心で、読者ははらはらしながらその人生を見守ることになる。彼女は情け深く、周囲の人間への思いやりを持つが、唯一の肉親であるチュニとは距離を置いたままだ。

 娘のチュニは母親と対照的である。言葉を発せず、容姿はかわいらしさのかけらもない。ふつうの知性には恵まれなかったが、透徹な美しい魂を持つ。幼いときに心を通じ合わせた象との友情をはぐくみ続け、物心つくと養父のもとで煉瓦職人として腕を上げる。愚直に一つのことを繰り返して極める人間だ。

 彼らをとりまくのは、美しく心の卑しい女や、情に厚く束縛を嫌う男、無敵で強面ながら生涯の想い人にめっぽう弱いやくざの親分など、欠点や矛盾に満ちた魅力的な人物ばかり。主人公たちの二転三転する運命や、次々に現れる過剰な人々、それらをすべて飲み込んで前進するクンボク。正直その騒々しさに途中で読者は辟易してくるかもしれない。

 でも、安心してほしい。冒頭まさに一行目で、後年<赤煉瓦の女王>と呼ばれたチュニの名前が出ていたではないか。怒涛のような展開は第三部でチュニのその後に至り、静かに収れんしていくことが予告されているのだ。

 多彩すぎる設定に消化不良を起こしそうになったら、小説内の語り手のこの言葉をよりどころにするといい、<すべての説明や解釈を保留にすることだけが真実に近づく道>。そう、読者はこの豊饒な物語に没頭して、書かれたものをそのまま受けとめるだけでよい。そこから何の教訓も暗示も読み取る必要はない。そうすれば、結末に到達したとき、驚くほど静かな充足感に満たされるだろう。

 1964年韓国生まれの男性作家チョン・ミョングァンの、これは、驚くべき初長編である。