『ある夜』(ユン・ソンヒ/著、金憲子/訳、クオン)

「第4回日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」のもう一冊の課題図書だった「ある夜」。こちらも「韓国文学ショートショート きむ ふなセレクション」の作品として出版されました。金承鈺文学賞に輝いた作品です。
盗んだキックボードでマンションの敷地内を走っているときに転倒してしまった初老の女性。身体を動かせず横たわっていると、母や父のこと、夫のこと、娘のこと、あの事件、この事件、これまでの自分の人生が様々に思い出されます。きれいに歳をとりたかったのに……。コンクールで最優秀賞を受賞した訳者の金憲子さんからメッセージを頂戴しましたので、ご紹介します。

ふと誰かの言葉や表情、些細な出来事を思い出して眠れない夜はありませんか? 説明できない不安や孤独、虚無感から不眠症になる人も少なくないと思います。『ある夜』の主人公も、70代を目前にしてそんな鬱々とした夜を過ごしている女性です。
家族を思って懸命に生きてきた彼女の満たされない心のうちを、著者は一見バラバラに見える小さなエピソードを鮮やかに散りばめることで、とてもリアルに描き出していきます。年齢や経験を重ねて挫折や限界を知った人、誰かの言葉に深く傷ついたことのある人ほど共感できるポイントがきっと多いのではないでしょうか。貧しいこと、女性であること、老いること、そして不慮の事故など、実は自分のコントロールできないことによって人生は大きな制約を受けます。優しい人、正しい人、頑張った人が報われる世の中であってほしいですが、この世は何とも理不尽で不公平です。うまくいかない現実に苦しむ私たちの気持ちを、著者は主人公の人生を通して代弁し、優しく慰めてくれます。
ときには弱くてもずるくても構わない、自分や周りを責めて苦しむよりは、のんびり構えて他人を頼り、気持ちを楽に持って笑顔でいなさいと、あたたかい手で肩をぽんとたたいてくれる一冊です。(金憲子)

『ある夜』(ユン・ソンヒ/著、金憲子/訳、クオン)