ブックレビュー:『世界の果て、彼女』 

人間を知っている作家

                               作家 平野啓一郎

 キム・ヨンスは、人気、実力を兼ね備えた現代韓国を代表する作家の一人で、個人的にも、もう十五年以上のつきあいになる。初めて韓国を訪れた時から、人に会う度に、是非「キム・ヨンスに会うべきだ」と薦められ、実際に会ってみて、その理由がよく分かった。非常に大きな、深い思考の持ち主で、同時に繊細な感受性も備えている。ユーモアがあって、人間的にも魅力的な人物である。
 残念ながら、幾つかを掌編を除いて、長らく日本語の翻訳がなかったが、二〇一四年にクオンから刊行された短編集『世界の果て、彼女』をようやく読んだ私は、ちょっと言葉にならないほどの深い感銘を受けた。断言するが、日本の文壇で、こんな小説を書ける作家は、私を含めて近い世代にはまずいない。私が知っているキム・ヨンスならさもありなんとも思われるが、実のところ、予想の何倍も素晴らしく、私は自分の仕事を顧みて、些か心細くなった。
 『世界の果て、彼女』は、書き方自体が特に目新しいというわけではない。しかし、この作者は「人間」をよく知っているという、疑いのない、重い手応えがある。そういう読書体験は、自国、他国の様々な文学作品を読んでいても、近頃、めっきり少なくなった。
 冒頭の「君たちが皆、三十歳になった時」は、仕事と恋愛、そしてアイデンティティといった問題に悩む若者たちが、国籍を問わず共感するに違いない、ユーモラスだが美しい物語で、「韓国人」に対して抱くどんなステレオタイプなイメージも、易々と乗り越えられるだろう。「休みが必要」は、弱者に対して、やさしい眼差しを持つ作者が、とある事件の被害者ではなく、むしろ加害者の自責の念に焦点を当てた作品で、主人公が訪れる図書館と孤島との対比が、効果的な背景をなしている。
 一篇一篇をたっぷりと語りたいところだが、紙幅に限界もあり、一組の夫婦の関係に於いて、写真と日本への旅が重要な意味を持つ「君が誰であろうと、どんなに孤独であろうと」も、少女の瑞々しい感受性が描かれた「記憶に値する夜を越える」も好きだが、私が特に、掛け値なく傑作だと思うのは、「月に行ったコメディアン」である。二人の男女の美しくも物悲しい恋愛と、韓国の政治的歴史を背景に淪落したコメディアンの人生とが巧みに交錯する作品で、その複雑な心理の描写から、ラスベガスの砂漠に至る大きな舞台の転換まで、全てが力強い魅力を放っている。あまりそういうことは感じないが、出来ればこの小説は、自分が書いたことにしたかったと思うほど、好きな一篇である。(『ちぇっく CHECK』VOL.1掲載)

世界の果て

『世界の果て、彼女』

キム・ヨンス/著 呉永雅/訳 クオン