ワンダーボーイ

 暗澹たる1980年代の韓国社会を、超能力を得た15歳の少年を通して寓話的に描いた『ワンダーボーイ』(キム・ヨンス著 きむ ふな訳)を紹介します。韓国社会が暴圧的な政治状況にあった1984年秋から1987年夏までを舞台に、著者は流麗な文体と言葉のセンス、おびただしい宇宙的な数字で、様々な人々の心の痛みと、それに共感する空間を描き出しています。(原書もCHEKCCORI BOOK HOUSEでお買い求めいただけます。)

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『ワンダーボーイ』

  父が生きた42年というのは、あまりにも短い時間です。星の数と比べると、それはないのに等しいほどです。だけど、想像してみてください。その光を分割して注ぐことができたとすれば、父は生涯、1秒ごとに7兆5499億5047万2325個の星の光に注がれて生きたことになります。だったら、それは本当にすごい1秒です。そんなにすごい1秒だということをわかっていたら、父は泣いたりしなかったでしょう。焼酎を飲むこともなかっただろうし、薬瓶を持って死んでやると息子に大声で叫ぶこともなかったはずです。父の人生の1秒がそんなにたくさんの光で溢れていたことを知っていたなら。

 だけど、宇宙のすべての星が動きを止めていっせいに光を注ぐ瞬間は、たった一度しかありません。
 生まれてからたった一度。
 僕たちが死ぬとき。
 そんなふうに。
 僕たちは子どもとして生まれ、光として死ぬのです。
 永遠に光として死ぬのです。
 だとすれば、それは本当に素敵なことだと思います。

 そう思わない、父さん?
(45頁から46頁)

    あの人と再会したのは1980年春のことだった。よく「ソウルの春」と言われる時よ。18年もの間、恐怖と抑圧で統治していた独裁者が、部下の銃に撃たれて死んだ後のこと。新しい時代が訪れたわけだから希望を抱くはずなんだけど、何かが変だった。なぜか、みんなすごく不安だった。昨日までは雪と厳しい寒さのためにたくさん着込んでいたのに、今日になって、突然暖かい風が吹いているようだったと言うか。みんな訳がわからないといったような、少し怯えたような表情で外の様子を見ていた。通りは静かだった。まだだよ、春を満喫しようと出かけようとするわたしたちに、大人たちは大声で制した。まだ春物に着替えてはいけないこんな時期は誰も、何も信じてはならない。春風も、日差しも。今考えれば、それは正しかった。春は来たけれど、それは本当の春ではなかったから。12月の暖かい日のようなもの。本当の冬はまだ始まってもいなかったんだから。
 その年の春、鍾路葬儀社の前で信号が変わるのを待っていたら、信号の向こうに立っている彼を見つけた。どんなに嬉しかったか。あの人が横断歩道を渡ってくるのを待って、挨拶した。けれども彼はわたしのことを覚えていなかった。どなたですか? 彼が聞いた。それで名乗ったの。わたしです。ヒソンです。それでも彼はわたしのことを覚えていなかった。完全に忘れてた。そんなことってある? たった3年で忘れるなんて!「君はもう僕の女になったから、君が20歳になるまで待つよ」ってしゃあしゃあと言ってた人が。そう言われてから、わたしは1度だって彼のことを忘れたことがなかった。わたしは思い出してくれるまで待つような人間じゃない。そのまま彼の手を引いて近くのムガスベーカリーに入った。そこでわたしが誰なのかを説明した。3年前、毎週のようにわたしの家に来て、彼が父と語り合っていたことも。しかし、彼はあいかわらず訳がわからないという表情のままだった。父の名前を言って、当時父が内務部でどんな仕事をしていたのか、そして父と彼のお父さんの、2人の長きにわたる友情についても話をしたの。(188頁)