魔人②

訳者の祖田律男さんのあとがきによれば、『魔人』に対する当時の人気ぶりは、「朝鮮日報」への連載終了後、2か月で単行本として刊行され、5年間で18刷を記録するという驚異的な反響からうかがい知ることができます。
探偵小説として初めてベストセラーとなった作品ですが、大反響を呼んだ理由として、作品中の世界的な舞踏家孔雀夫人こと朱恩夢(チュ・ウンモン)のモデルが、朝鮮出身の人気舞踏家、崔承喜であったことが挙げられます。金来成と崔承喜は年齢も近く、金来成は早稲田への留学経験があり、崔承喜も東京でモダンバレエを学ぶなど共通点もあります。崔承喜は日本や朝鮮だけでなく欧州、米国など世界各地でも講演して賞賛を浴びますが、絶頂期の1937年、京都宝塚劇場公演中にナイフを持った男に襲撃され、大きな話題となりました。このように人々の耳目を集める存在だった崔承喜をモデルとしたことで、本作品はベストセラー作品となったようです。

金来成は、日本統治下のもと日本の資本によって急速に近代化していく特殊な環境にあった京城(現ソウル)を魔都と表現しています。ネオンが輝き、車が頻繁に行き交って、百貨店も建つにぎやかな魔都京城と近代化の及ばない辺鄙な村、魔都での舞姫や富豪らのきらびやかな暮らしと、辺鄙な村での貧しい者の暮らしとの対比も描かれ、興味をひく部分です。
また、怪盗アルセーヌ・ルパンの生みの親であるモーリス・ルブランから名前をつけた探偵劉不亂や、アルセーヌ・ルパンに扮した謎の人物を登場させるなど、金来成が世界の探偵小説に通じていたことも分かります。

金来成推理文学賞がつくられるなど、後世の作家に大きな影響を及ぼした金来成ですが、彼を作品に登場させた作家もいま3584_lす。ユン・へファンです。「金来成とシャーロック・ホームズが朝鮮で出会っていたらどうなっていただろうか」という発想で書いた『ホームズが送った手紙』で大韓民国デジタル作家賞優秀賞を受賞しています。

日本語で読める金来成の作品は、ほかに『金来成探偵小説選』があります。邦訳作品ではなく、金来成が最初から日本語で書いた作品ですが、いつかこちらもご紹介したいと思います。