絵本専門出版社「絵本工作所」の代表ミン・チャンギさんトークイベント(韓国通信)

ソウルにある絵本専門の一人出版社「그림책공작소(絵本工作所)」(Instagramはこちら)の代表ミン・チャンギさんを招いてのトークイベントが12月18日、釜山の児童書店「책과 아이들(本と子どもたち)」で開かれました。絵本工作所は2014年の設立後、これまでに36点の絵本を出版しています。この日は「絵本という世界」をテーマにたっぷり2時間以上話し、30人ほどの参加者が熱心に聞き入っていました。ミンさんの絵本に対する並々ならぬ情熱が感じられる講演でした。

 

 

 

 

 

 

 

まず「絵本とは何か」と会場に問いかけます。とっさの質問になかなか手は上がりません。ミンさんは、絵本は「文字と絵の結婚」「第10の芸術ジャンル」「0歳から100歳まで楽しめる芸術」などさまざまに形容されているけれど、今もまだ「大人が読んでも大丈夫な“子どもの本”」という認識が支配的であることを残念に思っているそうです。誰しも大人になっても心の中に「子ども」はいるので、けっして子どもだけの本ではないと。この道20年のミンさんにとって絵本とは、書店でちょっと手に取るような存在ではなく、24時間すべてを捧げられるほどの存在なのだそうです。結局、「絵本とは何か」の問いに対するミンさんの答えは「絵本とは絵本だ」でした。哲学的な答えのようでもありますが、この講演が終わったとき改めて考えてみると確かに、絵本は絵本だとしか言えないほど複合的なものだと感じました。
絵本を構成する三つの主体は「作家」「出版社」「読者」です。このうち作家に求められるのは、絵本を通して伝えようとするメッセージがはっきりしていること、伝えたいという強い意志や覚悟を持っていること、世の中に関心と愛情を持っていることだとミンさんは言います。出版社には、そのメッセージを曲げることなく読者に伝えようとする姿勢が求められます。また最近は作家と直接交流できるトークイベントなどが増え、読者が積極的に感想や意見を発信するようになっていますが、それは出版社の新たな企画にもつながっていくので望ましい傾向だとミンさんは考えます。このように三つの主体が揃って初めて絵本が生まれます。

 

 

 

 

 

 

 

絵本工作所では韓国の作家の絵本だけでなく海外の絵本の翻訳版も出版していますが、海外の絵本を手がける際に工夫していることや心がけていることも紹介してくれました。なかでも、絵本工作所の設立前、ミンさんが出版社に勤めていたときに編集を担当した『달려 토토(RUN Toto!)』の例は印象的でした。この本は、もともと2009年のボローニャ・ブックフェアで展示されていた著者チョ・ウニョンさんのダミー絵本がフランスの出版社の目に留まり、翌年にまずフランスで『La Course(レース)』というタイトルで出版され、その翌年に韓国で出版されたという経緯があります。祖父に連れられ競馬場を訪れた少女の視線で、競馬場の雰囲気や大勢の来場客、疾走する馬の様子などが描かれていますが、実はフランス語版と韓国語版ではページ構成が異なっています。これは、より効果的と思われるページの並びになるようミンさんが著者と相談しながら決めた結果だそうです。さらに、馬の出走シーンには韓国語版にしかない工夫もあります。そこだけ折りたたみページになっていて、見開きのたたまれている部分を左右に大きく開くと、今にも馬が駆けだしていきそうなダイナミックなシーンを体験できるという仕掛けです。ミンさんは「絵本にどれが正解というのはない」と前置きしたうえで、このように同じ絵を用いても結果が変わってくることもある、著者のメッセージや意図がより効果的に伝わるよう工夫するのも編集者の大事な役割だと話していました。ちなみにチョ・ウニョンさんはこの韓国語版で、第23回ブラティスラヴァ世界絵本原画展のグランプリを韓国人としては初めて受賞しました。


そのほか、原書の題字や本文が手書きの場合、その感じを生かすため韓国語版でもミンさんみずから手書きで何十通りも文字案を書いたという話など、具体的なエピソードを数多く紹介してくれました。テニスを題材とした絵本では裏表紙のバーコードをラケットの形にしたり、雨を扱った絵本では奥付の文字を左揃えにする代わり輪郭が傘の形になるよう配置したり、といった例も見せてくれました。それぞれの絵本のコンセプトが少しでも視覚的に伝わるよう常に心がけていて、長年、数多くの絵本に接してきた経験やノウハウの蓄積が、そうしたアイデアに生かされているとのことです。言われないと気づかないような細かなところにまで神経を使い、こだわりを持って制作していること、そしてそれを楽しんでやっていることが感じられました。


ミンさんは前の出版社で絵本を担当して10年が過ぎたころ、組織の中では自分の思う絵本づくりをするには限界があると感じて独立を決意し、絵本工作所を立ち上げました。筆とペンが柱となって屋根を支え、その下に「그림책공작소」の文字があるロゴも、かなりの時間をかけてみずから作ったそうです。「世界を込めた絵本、世界を変える絵本」というモットーを掲げ、本づくりから宣伝、作家への対応まですべて一人でこなしつつ、徹夜の日が続くほど忙しい日々を送っていました。ところがそんなある日、交通事故のため重傷を負い、9日間も意識不明の状態が続いたそうです。そのときの経験から、やはり健康や家族、友人、そして幸せであることが何よりも大事だと気づいたと言います。講演の最後に見せてくれたのは、その事故の直前の2017年夏、ご自身が手がけた「雨ニモマケズ」の韓国語版絵本を手に雨の中立っているミンさんの写真です。絵本工作所を立ち上げて3年、忙しい日々を送りながらも満たされた目をしている自身の姿が気に入っているとのことで披露してくれました。「心臓が脈打つあいだは絵本を作りつづけます」という文章が添えられています。講演開始から2時間が過ぎ、「このまま明日の朝まで話せと言われたら話す自信はありますが、そういうわけにもいかないので今日はここまでとします」というミンさんの笑顔と共に講演は締めくくられました。(文・写真/牧野美加)