スペイン語で味わう韓国の詩(韓国通信)

 以前このコーナーでご紹介した翻訳詩の朗読会「訳:詩」の最終回が11月2日、釜山で開かれました。釜山在住の詩人キム・スウさんの詩をスペイン語で鑑賞します。会場となったブックカフェ「百年魚書院」には椅子が足りなくなるほど大勢の参加者が詰めかけました。百年魚書院については後日あらためてご紹介したいと思います。

スペイン語への翻訳と朗読を担当したのは、スペイン出身で在韓8年目のイネス・ミランダさんと、幼少期をアルゼンチンとウルグアイで過ごしたという翻訳・通訳者のパク・ウネさん。配られた冊子には二人が訳した計10篇の詩が対訳で掲載されており、うち4篇がスペイン語と韓国語で朗読されました。朗読には来場者の一部も加わりました。

 「聖 발바닥(足の裏)」は、キムさんが以前、サハラ砂漠やパミール高原に2年ほど暮らしていたときに書いた詩です。過酷な環境下でも礼拝を欠かさないイスラム教徒が靴を脱いで砂の上にひれ伏すようにして祈りを捧げているときに見えた、足の裏とひび割れたかかと。その敬虔な姿は神よりも偉大に見えたといいます。

 「真実は前ではなく後ろにある」という一節が印象的な「뒤(後ろ)」という詩。これを書いたのは、キムさんがある家を弔問したのがきっかけだったそうです。出棺のあと、台所から聞こえてくる洗い物の音を聞きながら、自分に残された時間や死んだあとのことについて考えるようになったとのこと。ミランダさんは、スペインの葬儀文化は韓国のそれとは異なり弔問客に食事をふるまう慣習はないので、洗い物という単語をどう訳せばいいか悩んだといいます。

 「한 올의 실(一筋の糸)」と「빨래(洗濯物)」はいずれも山腹道路の風景から着想したという詩です。山腹道路は、山の斜面を縫うように走る道とその周辺に古びた家々が立ち並ぶ地域の総称で、釜山では開発の進むエリアと対照的に語られることの多い場所です。フォトエッセイの出版経験もあるキムさんは、よく山腹道路を歩いて写真を撮るそうです。開発から取り残されたこの地域の家に干してあった平凡な作業服が、人間よりも人間らしく見え、胸に迫るものを感じたといいます。

1120キムスウ詩人と翻訳者

 

 

 

 

 

 

 司会を務めた評論家のチョン・ソンウクさんがパクさんに、韓国語は情緒を表す形容詞が豊富だが訳すうえで苦労しなかったかと質問すると、形容詞はむしろスペイン語のほうが豊かだという答えが返ってきました。ただし、韓国語にはあってスペイン語にはない形容詞があり、その逆も然りなので、単語一つひとつをスペイン語に置き換えるというよりは、詩全体の意味合いを汲んだ翻訳を心がけたと話していました。今回、特に難しかったのは、韓国語の詩の韻やリズムを生かして訳すことだったというお話も。私はスペイン語がわかりませんが、それがいかに至難の業なのかは容易に想像できました。

 チョンさんの「詩人の内なる声を言語に訳したものが詩で、それを外国語に訳したものが翻訳詩。つまり詩人の声を二重に翻訳したものといえる」という話や、キムさんの「詩は人生を守ってくれるものだと思う」という言葉も印象に残りました。朗読の合間にギターの弾き語りもあり、最後は、スペイン語から韓国語への翻訳も手掛けるというキムさんが、スペイン語に訳された自身の詩1篇を朗読して会は締めくくられました。

 全国各地で開かれた今年の「訳:詩」(全9回)はこれで終了ですが、来年もまた新たな企画で開催されるようです。(文・写真/牧野美加)

1120朗読中