韓国出版レポート(19-8)ーー小林勝の書いた小説のこと

小林勝の書いた小説のこと

                舘野 晳(日本出版学会会員)

 先日、チェッコリで、この秋10月に実施される「文学で旅する韓国ー大邱編」の前宣伝を兼ねたトークイベントが開催された。折しも来日された大邱大学のヤン・ジノ教授が、大邱の都市形成の歴史や植民地時代における日本人の暮らしの様子などを話してくださり、短い時間ながら、とても有益で興味深いひとときを過ごすことができた。
 その席で小林勝の作品「日本人中学校」(1957)についての内容紹介があった。小林勝は大邱の小学校・中学校に通学しそこを卒業しており、のちに作家になってからは、植民地朝鮮の在住日本人や朝鮮人が登場する小説やエッセイを、数多く発表している。だからヤン教授は参加者に大邱への関心を持ってもらうには、小林勝を話の切り口に据えるのが好都合と判断したのだろう。
 ところが20名ほどの参加者の反応は意外なものだった。話の内容には興味を示しながらも、小林勝という小説家の名前は初めて耳にするという感じだったのだ。参加者のほとんどはチェッコリの常連客だったから、一般市民の韓国・朝鮮に対する認識よりは、数段上のレベルにあると勝手に思い込んでいた。しかし、予想を裏切る反応に内心驚いてしまった。

  確かに、小林勝は忘れられた文学者かもしれない。「若く貧しく無名な」と彼を特徴づける言葉が残されているが、いまも作品を読もうと思い立っても、大型書店ですら作品集を買い求めることはできない。彼の作品のうち、現在、文庫本に収録されているのは僅か1編(「フォード・一九二七年」、『戰後短篇小説再発見⑦故郷と異境の幻影』所収、講談社文芸文庫、2001)だけで、アンソロジーの巨編、コレクション『戦争と文学』(全20巻+別巻1、集英社 2011-13)でも、1・15・17巻に、各1作品(「架橋」「軍用露語教程」「フォード・一九二七年」)が収録されているだけなのだ。
 小林勝はあまたの文学賞の受賞者でもなく、また1971年に亡くなっているので、すでに没後半世紀に近い歳月が流れている。けれども、日本(人)と韓国・朝鮮の関係、相互の人間としてのつながりや軋轢、その修復の道を見いだそうとするなら、思考を助けるための素材として、小林勝作品の存在を見逃すことはできないはずだ。
 彼は植民地朝鮮で軍国少年育成の教育を受けつつも、異国の人々や風物にも親しく接してきた。長じて陸軍航空士官学校を志願し進学するが、日本の敗戦で挫折、その後の進路は百八十度の転換を遂げる。戰後いち早く日本共産党に入党、同じ頃、新日本文学会にも入会し、文学創作活動を開始した。作品は植民地朝鮮を舞台にするものが多かった。1950年、朝鮮戦争が勃発、日本共産党は当時、武力闘争路線を歩んでいたので、彼もそれに加わり、朝鮮戦争の現地に送る兵器・資材の輸送阻止闘争に参加、熾烈な体験を重ねもする。そうした闘いのなかで在日朝鮮人との出会いがあり、それはその後の作品になかに反映されていく。
 こうした経歴の持ち主であるが、彼の作品の発表の場は、ほとんどが『新日本文学』、文学同人誌、小規模雑誌などで、あまり人目に触れる媒体ではなかったから、生前、さほど注目されることもなかった。
 作品集に『断層地帯』(全五巻、書肆パトリア、1958)、『狙撃者の光栄』(書肆パトリア、1959)、『檻の中の記録』(至誠堂、1960)、『強制招待旅行』(筑摩書房、1962)、『チョッパリ』(三省堂、1970)、『朝鮮・明治五十二年』(新興書房、1971)があり、著者の没後の1975〜76年に『小林勝作品集』(全5巻、白川書院)が刊行されたが、さほど評判を呼ぶまでにはいたらず、後日、作品集は古書店頭でバラ売りされていた。
 今年6月の本欄において紹介した近刊書、原佑介『禁じられた郷愁——小林勝の戦後文学と朝鮮』(新幹社、2019)は、小林勝の生涯と作品世界を知るのに、唯一かつ最適の案内書になるだろう。改めて一読をお勧めしたい。
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 ここまでが「前置き」に相当する部分である。こうした経緯があったので、今後、本欄では日本(人)と韓国・朝鮮との関係を扱った作家と作品、忘れられているが、韓国・朝鮮を考えるうえで見過ごせない重要な作品(作家)について、文学分野(ノンフィクションを含む)を中心に紹介していくことにしたい。
 その場合、日本人(朝鮮半島で暮らしたかどうか、経験の有無は問わない)の書いた作品、さらに韓国・朝鮮人(本国以外の地で暮らす者、在日韓国・朝鮮人も)が描いた作品も取り上げることにしたい。新刊だけでなく、旧刊書(古書)からも選んでいきたい。
 最後に、今後、これらの紹介を読んでいくうえで、総括的に参考になる書物(論文)を挙げておこう。

1、鶴見俊輔「朝鮮人の登場する小説」『鶴見俊輔集』⑪所収、筑摩書房、1991
2、朴春日『増補、近代日本文学における朝鮮像』未来社、1985
3、高崎隆治『文学のなかの朝鮮人像』青弓社、1982
4、磯貝治良『戰後日本文学のなかの朝鮮韓国』大和書房、1992
5、南富鎮『近代文学の<朝鮮>体験』勉誠出版、2001
6、木村一信・崔在喆編『韓流百年の日本語文学』人文書院、2009
7、宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』岩波書店、201ii
8、朴裕河『引揚げ文学論序説』人文書院、2016