韓国ミステリー事情

 前回、前々回と韓国のジャンル小説の流れについてご紹介しましたが、今回は、創刊10周年を迎えた『本 格ミステリー・ワールド2016』(島田荘司監修 南雲堂)に掲載のコラム、「韓国ミステリー事情(2015)」の全文をご紹介します。

韓国ミステリー事情

 2015年、韓国ミステリー界における最大の話題は、隔月発行のミステリー専門誌『ミステリア(MYSTERIA)』(2015、Elixir)の創刊だろう。『ミステリア』は、読者とミステリー文学関係者の期待と不安が入り交じる中、大型総合出版社、文学トンネのミステリー小説専門レーベルであるエリクシールが1年以上の準備期間を経て出版し、創刊号初版4000部が3日で完売となる順調な滑り出しを見せた。国内外の作家による新作短編小説と、企画記事・インタビューなどの非小説記事を半々の割合で掲載し、ミステリーを本格的に探究するこの雑誌は、韓国出版市場の主要購買層である30~40代の読者による購買率がもっとも高い。
 一方、2014年11月に施行された図書定価制(新刊、旧刊ともに、出版社が定めた価格の10%を超える割引を禁止する制度)により、国内の出版界はもちろん、ミステリー界も大打撃を受けた。図書定価制の実施を控えたミステリー出版社は、在庫消費を目的として定価の半額以下という破格的な割引率で書籍を販売したが、このとき書籍を大量に購入した読者がしばらく書籍を購入せず、新刊に対する姿勢もかなり保守的になった。図書定価制により、読者の書籍に対する購買が慎重さを増す中、東野圭吾、奥田英朗、ネレ・ノイハウスなど、既成作家の新刊や東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2012、現代文学)のような、割引率とは関係なく大衆に好まれてきたベストセラーばかりが販売されるという現象が定着した。過度な割引競争を食い止め、地域の書店を救うことで健全な出版市場を形成しようと作られた制度ではあるが、読者の反応は依然として否定的であり、制度が受容されるまでに、まだ時間がかかりそうである。

 また、出版界の不況とスマホの普及により読者が減少し、ミステリー界の不況を克服するための対応策として考えられていた国内ミステリーの作品、作家の開拓やミステリー小説の新レーベル設立計画なども中止、延期される事態が相次いだ。そのような中、キム・ソンジョン(金聖鍾)、ト・ジンギ、チェ・ヒョッコン、ソ・ミエ、ソン・シウなど、既成作家の新作は着実に出版され、ミステリー愛好家の関心も高い。初の長編小説『ライラックが赤く咲く家』(2014、シゴンサ)がミステリー小説としては珍しく世宗図書(毎年、政府により選定される優秀図書)に選定され話題となったソン・シウは、国家人権委員会の調査官たちの活躍を描いた二作目『走る調査官』を出版し、韓国の社会派ミステリーの可能性を広げた。また、jtbc、tvN など地上波以外のテレビ会社で制作されたサスペンス、推理ドラマが人気となり、「トリックを重視する本格推理小説の映像化は困難である」という偏見を払拭し、ミステリー小説の映像化契約が増加した。パク・ハイクの『ソナム女子高探偵団』(2013、ファングムカジ)は、原作にもない同性愛論議を引き起こしもしたが、ドラマ放映と同時に書籍販売数が大幅に増加し、肯定的な評価も受けた。ここに見られるように、韓国のミステリー小説の売り上げには、依然として映像化がもっとも大きな影響を及ぼしている。

 一方、インターネットやスマホのアプリを用いた電子書籍の連載小説が人気を得て売り上げを伸ばすと、推理小説の電子書籍市場への進出も増加した。これまで推理小説家が示してきた電子書籍に対する否定的なスタンスと比較すると、大きな変化である。ベストセラーの場合、電子書籍の販売量は紙書籍の10%程度と、韓国の出版市場における電子書籍販売比率は大きくはないが、絶版となったものや、契約満了により再出版が困難な作品、紙書籍で出版することが難しい中・短編小説なども電子書籍であれば出版できるという点から、作家の考え方も変化したようである。しかし電子書籍の主要顧客層は、従来、電子書籍に親しんできたロマンス小説愛好家たちであり、ミステリー小説の読者は依然として紙書籍を好む傾向にあるという点、物語の展開が速くなくてはならない電子書籍の形態に、ミステリーは不向きであるという点が、販売に関してマイナスの影響を及ぼしている。

 今年、韓国では、ベストセラーといえるミステリー小説が目につかなかった。直木賞、本屋大賞などにおいて日本のミステリー小説が振るわず、韓国のミステリー小説愛好家への影響力がなくなったことや、大御所作家の新作不足などにより、日本のミステリーに対する関心も低下した。一方、韓国では日本を除くアジア圏のミステリー小説は売れないという偏見を打破し、読者の好評を得た香港小説『13・67』(2015、ハンスメディア)の善戦、世界的名声にもかかわらず韓国では苦戦を強いられてきたスティーヴン・キングが、自ら「探偵小説」と謳った新作『ミスター・メルセデス』(2015、ファングムカジ)で推理小説愛好家を魅了したことは、ミステリー界における新たな可能性の発現と見なされている。さらに、韓国スリラー小説の代表作家チェ・ヒョッコンの『探偵ではない男二人の夜』(2015、シゴンサ)が、今までとは違う愉快なコージーミステリーで人気を集めるなど、既存の偏見を払拭した作品が好評を得た。また、複数の作家によるシャーロック・ホームズのパスティーシュ作品が登場する中、綾辻行人の「館シリーズ」第一作、『十角館の殺人』をオマージュしたソン・ソニョンの『十字館の殺人』(2015、ハンスメディア)も刊行された。一方、『容疑者Xの献身』(2006、現代文学)のヒット以降、次々と契約が結ばれた日本のミステリー小説が、10年以上の年月を経て契約満了となった。その後、ほかの出版社を通じて再契約、再出版され、名高い旧刊が再び注目されるなど、読者の選択の幅がいつになく広がった一年であった。

パク・ユニ(大衆文学の編集担当・シゴンサ)

シゴンサ(時空社)
1989年、日本のオーディオ雑誌『季刊ステレオサウンド』の
韓国語版を出版する(株)ステレオサウンドとして設立され、
翌90年、時空社と社名を変更、本格的な出版事業を開始する。
『ステレオサウンド』を始め、ファッション、ゲーム、
漫画などの各種雑誌、児童書、小説、宗教関連図書、
人文学関連図書、エッセイなど、多分野にわたる書籍出版を手がける。

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