『瞑想の詩(마음챙김의 시)』 リュ・シファ

リュ・シファは放浪の吟遊詩人だ。痩身、長髪、黒のサングラス。インドの賢者のような装いが似合う。この人はきっと1年の大半を、世界各地を旅しているに違いないと、私は勝手に想像してしまう。
ところが今年のコロナ禍は、トラベリング・ソウル(旅する者の魂)を持つ詩人の足を束縛した。詩集のあとがきにこうある。

p158 コロナ禍で世界が荒波の渦巻きの最中にあるとき、これまで30年間、毎年出かけていたインドへの旅が不可能となったことを悟った私は、済州島西帰浦の海辺の蜜柑畑にある石造りの倉庫を、執筆室として改造する作業を行った。昼は熱い太陽と突然の豪雨の元で肉体労働を行い、夜になれば波音を友としてこの詩集に載せる詩を選び、行を整え、幾度も声に出して読んだ。この詩が自分の息となるまで。そしてこの詩があなたの息吹となることを願いながら……。そのことが私には、困難な時代を通り過ぎる瞑想の瞬間だった。

海辺の小屋で潮の香りを嗅ぎながら、世界中の詩を読んで選別し、翻訳している様子が目に浮かぶ。15年ぶりに名詩を集めて編んだ「箴言詩集」は、留まらざるを得ない放浪の詩人にとって、より切実な思いに溢れているに違いない。それは読者にも、深い癒しを与えてくれるに違いない。 リュ・シファの感性で選ばれ翻訳された数々の詩は、時代や国境を越えた明快さと重みを持つ。

巻末には、詩人の人生の片鱗を伺わせてくれる略歴がある。この詩集には、ツイッターで詩を発表している若きアメリカ人、紀元前のユダヤ教の賢者、13世紀のペルシア詩人や14世紀のイランの詩人、15世紀のインドの聖者の詩もある。日本人では、谷川俊太郎の「生きる」が取り上げられた。

詩の翻訳は、祈りにも似ている。浮かび上がってくるたくさんの単語を一つ一つ確かめ、小声で発音しながら、「これだ」と思う言葉を選びとる作業。それは道端の小石を積み上げながら、だれかのためにそっと祈りを捧げる行為にも似ている。

[마음 챙김의 시]という詩集のタイトルをどう訳そうか、迷った。챙김は、動詞챙기다(とりまとめる、準備する、そろえる、着服する)の名詞形。「心落ち着く詩」では、なんとも私の気持ちが落ち着かず、「やすらぎの詩」「癒しの詩」もちょっと気恥ずかしくて、あれこれ悩んだ挙句に『瞑想の詩』としたが、あなたならどう訳すだろうか。翻訳に「正答」はないと、私は思う。

「鳥と私」  ハルーン・ヤヒア
私はいつも気になっていた。
この世のどこにでも
飛んで行けるくせに
鳥はなぜいつも
同じ場所に
とどまっているのか。

そうしてふと、自分自身にも
同じ質問をしてみた。

「しなかった罪」  マーガレット・センスター
あなたがすることが問題ではない
あなたがしないままでいることが問題だ。
日の暮れるころ
あなたの心を苦しめるのはそのことだ。
忘れてしまった柔らかな言葉
書かなかった手紙
贈らなかった花
夜、あなたにつきまとう幻影がそれだ。(以下、略)

「人生の傷あと」  エルラ・フィップラー・ウォルコックス
だれもがこの世は丸いと言うけれど
私はときどき、この世はとんがっていると思う。
あっちこっち角にぶつかって
小さな傷をたくさん作るから。
でも、私が世界を旅しながら見つけた
人生の大切な真実の一つ
本当の傷を与える人は
最も愛している人たちだということ。 (以下、略)

「鉛筆」  W.S.マーウィン
この鉛筆の中には
一度も書かれたことのない単語が
ひっそりと詰まっている。
一度も言われたことのない
一度も教えられたことのない単語たちが。

それらは隠れている。

その黒い暗闇の中で覚めていながら
私たちの言葉を聴いている。
しかし外には出てこない。
愛のためにも、時間のためにも、火のためにも。

鉛筆の暗闇が擦り減ってなくなっても
その単語たちはずっとそこにあるはずだ。
空気の中にひそんで。
これからたくさんの人たちがその単語を練習し
その単語を呼吸するだろうが
だれもそれ以上賢くはなれない。

どんな文字なのだろう、それほど著すのが難しいのか。
どんな言語だろうか。
私がその言語に目論見をつけて
理解することができるだろうか。
すべてのものの本当の名前を知るために。

もしかしたら多くはないのかもしれない。
本当の名前のための単語は。
たった一つの単語かもしれない。
そしてそれは我々が必要とするすべてなのかもしれない。
それがこの鉛筆の中にある。

この世のすべての鉛筆が、それと同じだ。

本著のあとがきに、こうある。

p159 声に出されたすべての単語は、実は空気のふるえにすぎない。しかし、ある空気のふるえが集まって詩となり、歌となる。その中に生のふるえが宿っているからだ。詩は私たちの息吹が作り出すものであり、私たちの息吹を作り出すものでもある。

言葉とはときに癒しともなり、ときに刃ともなる。ときには、口に出してはいけない言葉を言ってしまいたくなる瞬間もある。感情を爆発させればストレスを解消できるかもしれないが、その代償はきっと大きい。もしかしたら、一生後を引くほどの重荷を背負うかもしれない……。
そんなとき、短い一遍の詩が私を諫め、私を踏みとどまらせることもある。詩の力にすがりつきたくなる瞬間、リュ・シファの詩集が今こにあることに感謝する。

2020年11月 戸田郁子


戸田郁子(とだ・いくこ)

韓国在住の作家・翻訳家。仁川の旧日本租界地に建てられた日本式の木造町屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。
朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」コラムの連載は10年目。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』(アルク)など多数がある。