『鉄道員三代』  黄晢暎(ファン・ソギョン)

 このごろ韓国では、若い女性作家の作品が人気を博している。そんな話を、先日わが家を訪ねてきた韓国の新聞記者とした。文化部担当の女性記者も、そういう小説が好きだと言う。もちろん私も、きらめく才能に胸躍らせながら、楽しく読んでいる読者である。

「ところであなたは、金薫(キム・フン)や黄晢暎(ファン・ソギョン)のようなベテラン作家は読まないの」と私が尋ねると、彼女は頭(かぶり)を振って答えた。「オールドハニカ」。
 オールド+動詞のハダ。古臭い、時代遅れ、野暮ったい……そんなニュアンスで使われる言葉だ。女性記者は、昨今のトレンドであるジェンダーからほど遠い、封建的な男の視点は好みではない、と付け加えた。

 思わずむきになって、「韓国を代表する、底力のある作家たちでしょ!」と反論する私も、すでに、オールドハンアジュンマ(古臭いおばちゃん)なのでしょう。若い世代は、暗くて重たいものは読みたくないのね。しかし時世の流行を云々するのではなく、10年後、20年後、50年後に、なにが残っているかを見よ!と叫びたくなる私である。
 韓国文壇の大御所である黄晢暎の『鉄道員三代』は、6月に発売されるや、即ベストセラーになった。オールドスタイルを待ち望んでいる読者は、確実にいる。

 黄晢暎は1943年満洲国新京生まれ。家族と共にソウルに移り、1962年に初の小説で話題に。その後、ベトナム戦に従軍。その体験が、作家の文学の方向を決めた、という。1986年に岩波書店から刊行された『客地』の末尾にある和田春樹氏との対談で、こう述べている。
「爆弾が落ちてくる塹壕の中で、何百回も祈った。もし私を助けてくれるなら、私は必ずわが民族の分断問題や民族問題を文学に表現します、と」

 その誓いどおり、作家はこれまで存分に書き続けてきた、と私は思う。卓越した才能で。同時に、民主化闘争や労働争議の現場にも作家は立ち続け、国家保安法違反で収監もされた。1979年から東京で朝鮮語(当時はそう言った)を学び始めた私には、黄晢暎という作家は、詩人の金芝河(キム・ジハ)と並ぶ「闘士」のイメージが強くある。

 『鉄道員三代』は、そんなベテラン作家の久しぶりの小説だ。「韓半島100年を貫く叙事の力」という帯の文字。表紙には雪まみれになって満洲の平原を走るかのような蒸気機関車。どっしりとぶ厚い600頁の単行本だ。
 結論から言えば、読了後、「えっ、これで終わりなの」と声を挙げてしまった。まだまだ続きが読みたいのだけれど……。

 金属労組で活動するジノは、高い煙突の上に一人で籠城し、不当解雇に抗議するストライキを続けている。孤独な夜、今は亡き懐かしい人々の姿が夢に現れて、100年に及ぶ家族たちの物語が始まる。夢と現を行き来しながら、社会の底辺を支えた暮らしが丁寧に描写される。
 主な舞台は、ソウルの永登浦(ヨンドゥンポ)と仁川(インチョン)だ。植民地時代に形成された二つの似通った工場地帯は鉄道でつながり、労働者の行き来も頻繁だった。路地裏の風景、建物の位置関係など、幼いころ永登浦に住んでいたという作家の仔細な描写に幾度も頷いた。私の住む仁川の町のあちこちに、今も当時の名残がある。

 ジノの父チサンは、父を訪ねて越北して機関車を運転するが、朝鮮戦争で負傷してソウルに戻り、晩年は家具の部品などの金属加工を細々と請け負った。鉄道従事員養成所に進学し、憧れの満洲鉄道の機関士となった祖父の一鉄は、社会主義者だった弟の二鉄に影響されて、日本の敗戦直後に北朝鮮に渡った。無口で実直な金属機械工だった曽祖父の二百萬は、新しく敷かれた鉄道の部品作りの腕を認められて、鉄道局に雇われた。ジノの家系は、三代続いた鉄道員だった。
 朝鮮半島を縦断し満洲へと続く鉄道は、帝国主義が生み出した産物であり、近代化の象徴だ。日本の植民地下では、鉄道員は憧れの職業でもあった。

P327 機関士たちの間では、急行旅客列車の機関士は鉄道員の花と呼ばれた。……(日本人機関士の)林が、一鉄を見ながら言った。「おまえのような朝鮮人に、チャンスが訪れるぞ」

 日中戦で徴兵が始まり、日本人の鉄道員らは将校となって戦地へ赴く。その空きを補ったのは、朝鮮人機関士だった。一鉄はついに、広大なトウモロコシ畑が続く野に、洗面器のような夕陽の沈む満洲を走った。
 一鉄の叔父は永登浦の営団住宅の建設で腕を買われて、満洲国の首都、新京の住宅建設現場に家族を伴って赴任する。そこには、苦しかった朝鮮とは比べ物にならないほど文化的な暮らしが待っていた。しかし、日本の敗戦によってつかの間の夢も終わりを告げ、満洲に行った親族は戻って来なかった。

 解放された朝鮮も分断され、単身で北に向かったジノの祖父の一鉄も、南に戻っては来なかった。激しいイデオロギーの対立で、同族同志が殺し合った朝鮮戦争の痛み。祖父の妹のシングムは、肉親との離散や死別の辛酸を嘗めながら、残された家族を守って90歳まで生き、孫のジノに昔語りをする。

 永登浦や仁川の労働者、その家族の暮らしは悲惨だった。祖父の弟の二鉄は社会主義に染まり、「読書会」を組織して活動を始める。無産階級をオルグする社会主義者たち。それを取り締まるのは、日本の警察の犬と化した卑屈な親日派たち。思想犯を取り締まる日帝の凄惨な拷問は、解放後の韓国でも長く踏襲され、民主化闘士らを苦しめた。

 今を生きる産業労働者たちは、近代から連綿と続く社会構造の中で生まれ、今もその轍から抜け出せない。まるで深い渓谷を流れる急流に巻き込まれたような、100年に渡る庶民の生の営みが、重くのしかかる。
 そんな中で、どんな時代にあろうと、家族を食べさせ命をつないできた女たちのたくましさは、まぶしいほどだ。シングムは女工時代に覚えた「インターナショナル」を口ずさみながら、ジノにこう言う。

p213 世の中はいつも繰り返し。社会や人や風俗が変わっても、同じことだよ。人が生きるってことは、昔も今も、上辺だけ変わっても中身は同じなのさ。……空を見上げてごらん。数千万の人が生きて死んでいったけど、空からお前のやることを見守っていてくれるんだよ。

p564 ジノは小学生のころ、祖母のシングムに聞いたことがある。「日帝時代はともかくとして、なんでうちの家族はいつも、力の強い方につかずに、負ける方の味方ばかりしてきたの」
……祖母は目を細めて答えた。「その時は負けたように見えても、結局は弱い者が勝つんだよ。それまで時間がかかってしんどいけどね」

 この世の中は、すぐには変わらない。それでも、ほんの少しずつよくなっていくのだという祖母の確信に満ちた言葉が、煙突の上で孤独な籠城を続けるジノの一筋の希望だ。
「そんなことして、世の中は変わるのか。悪くなるばっかりじゃないか」と揶揄する友に、ジノは言う。

p202 「生きてるから、もがいてみるんだよ。そうすればほんのちょっとずつでも、変わってくるはずじゃないか」

 ふり返ってみれば、民草の暮らしを守るため、我が身を顧みず巨大な権力に抵抗し、濁流に棹差してきた数多くの闘士たちがいた。歴史の教科書に名前も残さない、星の数ほどの先達がいたからこそ、私たちの今の暮らしがある。
 日帝時代から解放直後の混乱期における社会主義者たちの活動は、安載成(アン・ジェソン)の『京城トロイカ』(邦訳は2006年、同時代社)にも詳しくあった。米軍政下での庶民の暮らしや、デモを制圧し良民を虐殺する警察の様などは、本著でよりリアルに描き出されている。産業労働者の窮状や抵抗は、作家が1971年に書いた『客地』へとつながっていく。

 作家は1989年に訪北したとき、この作品のモデルとなった鉄道員を勤めた男と知り合ったという。温めてきた壮大な構想をまとめ上げるまでに長い歳月を要したのは、おそらく作家自身の人生とも投影するための調査や取材が続いていたからだろうと想像する。
本の表紙を開いたところに、作家の筆致が印字されている。
「長い長い時間の中で、私たちは一握りの塵にすぎないが、世の中は少しずつ良くなっていくでしょう。2020年5月  黄晢暎 」

 30年来の荷をようやく下ろした作家の思いは、まさにこの一言に籠められているのだろう。

2020年10月 戸田郁子


戸田郁子(とだ・いくこ)

韓国在住の作家・翻訳家。仁川の旧日本租界地に建てられた日本式の木造町屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。
朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」コラムの連載は10年目。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』(アルク)など多数がある。