【最優秀賞】『中央駅』愛の深度/竹垣 なほ志さん

【最優秀賞】

竹垣 なほ志さん

『すべての、白いものたちの』
記憶に灯をともす

「中央駅」そこには、行くべき場所がある人々が集まる。しかし、その周辺に寝起きするホームレスたちは、どこにも行く場所が無い。この小説の舞台となる中央駅広場は、再開発の拡張工事の只中で、ホームレスたちは、明るい場所からさらに暗い場所へと追いやられる。そこには、人間から人間性を奪うのは人間である、という厳しい現実がある。

語り手の「俺」の所持品は、たったひとつのキャリーケース。中央駅の広場で彼は、自分と同じ境遇で、なおかつアル中で病気の「女」と出会う。彼らには名前があるはずだが、著者のキム・ヘジンは彼らの名前を明かさず、ずっと「俺」と「女」として語られる。その一方で、他の登場人物たちは名前が記される。ホームレス支援センターのカン・ドンホチーム長とスタッフのイ・ナムジュ、自活勤労しているハン社長、簡易住宅の少女ソラ。個性的な他の登場人物たちに混じって、全く名前を明かされない「俺」と「女」は、社会の底辺の中でも、さらに落ちくぼんだ場所に居るかのようだ。小説の後半、「俺」が「低い声で女の名前を呼んでみる。これまで一度も呼んだことのない名前」という箇所がある。しかしそこでも名前は読者に明かされないままである。著者のこれ程までに頑なな執筆態度には、特別な意味があるのだろうか。「俺」と「女」にとって、名前よりも意味があるものとは…私は、それを「時間」だと思う。

この小説には、時間の描写がとても多い。「女」と出会う前の「俺」は次のように語る。「もしかしたら俺は、終日、目に見えない時間と戦っているのかもしれない」「できることなら、誰かに俺の時間の一部を切り取って売ってやりたい」しかし「女」に出会い、愛を重ね合うようになるにしたがって、時間の感覚が変化する。「女に出会ってからというもの、俺の時間はもっぱら女のために費やされる」このように、愛は人の時間の概念をも変化させてしまう。

しかし、底辺にいる「俺」と「女」は常に疑問を感じている。「俺たちは恋人なのか」「こんな場所で愛が可能だと思うの?」と。「女」の病状は次第に重篤になり、治療費を得ようと金策する「俺」にも不運が襲い掛かる。凝縮されたふたりの時間は、次第に重さを増して、物語は下へ下へと深度を深めてゆく。

なにひとつ持たない「俺」と「女」の愛を、大きさで測ることは出来ない。ただ、深度で測ることしか出来ないのである。